07.05.03 山西省運城
運城の朝食
この地方の朝食。左は韮などが入った包子。右が米粥。でも色、食感は粟です。

 4月30日。MLのお友達mr.NZさんの駐在地に来ました。以前から誘われていましたが、何せ山西省の西南端という辺鄙な場所なのでなかなか来られなかった。今回西安に来た機会に長年の宿願を果たせたのです。西安から高速道路で2時間半。会社の車を迎えに差し向けて下さいました。

 運城市風量渡。陝西省から黄河を渡って山西省に一歩入った所。そう言っては何ですがホントに何もない所。夜は「やおとん」の餐庁で食事しました。勿論冷たいビールなんかありません。

 5月1日。mr.NZさんの会社の社員旅行に入れていただいて、3カ所ほど観光に。路線バスを借りて総員約20名(幹部だけ)。こちらでは路線(公共)バスと言っても中身は個人営業。つまり、バスの持ち主が寄り集まってバス会社をやっているわけ。だから包車(貸し切り)にも応じる。バスは約束時間前に来たけれども、社員がなかなか集まらない。8時を15分過ぎてやっと全員揃って出発。

 まず中国死海と称する塩湖を目指します。場所は運城市街の近く。mr.NZさんの会社も運城市ですが市の一番西南の外れ。その塩湖まで約3時間北上する。だから時間的には陝西省の西安より運城市街の方が遠い。
塩湖
 この塩湖は細長いんですが、かなり広い。最近とみに水が減って、間もなく塩も取れなくなるのではと懸念されている。でも行って見ると大量に採取され積み上げられていました。
遊園地
 何でここに塩湖があるのかですが、おそらく太古この辺は海底だったのでしょう。そして、下が岩盤なのだそう。で、低地。だから塩が溜まる。大昔から周辺各地に塩を提供していたとか。今は多分この塩は工業用に使われている。

 塩湖の中央部辺りに遊園地がある。中心に大きな建物があって、その中にプールや泥池や餐庁などがある。mr.NZさんはここで社員を遊ばせるつもりだった。まずは食事して・・・ということでその建物に入り、餐庁はどこだと聞いたら、係の言うには「まず28元払って、それから餐庁なりプールなり、泥温泉などを利用して下さい」。勿論それぞれ有料です。

 そりゃおかしい。何でゲートで取らずに、ここで入場料取るんだ。すったもんだの挙げ句、こんなけったくそ悪いとこ使ってやるかと総員引き揚げ。
遊具の一つ
私の推測。塩湖は公有地。ゲートで入場料を取ると、それは市に取られてしまう。遊園地の中の私有建物で取る入場料なら市に取られない。つまり遊園地は私企業。そういうことではないのか。(写真)この連休中の客寄せの仕掛け。
自転車ボート

 塩湖から運城市街に戻り、適当な餐庁で食事。それから約20キロ南の関帝廟に行きます。関羽はここ運城で生まれたのだそう。なお、この辺は昔「河東」と言ったらしい。
関帝廟入口
可成り大規模な廟です。何回も山門みたいな建物を潜る。どれも立派な建物でした。
関帝廟楼門
 ただ、入場するときトラブル発生。mr.NZさんは運城市民なら各施設の入場料が免費になるカードを予め1人50元で買ってあった。それを使うには身分証明書が必要。各人持って来いと言ってあったのだそうですが、チャンと持っ来たのはタッタの一人。だから大半がそのカードで入れない。入るには門票を買わざるを得ない。二重払い。mr.NZさんにとっては踏んだり蹴ったりです。
拝殿
 後で聞いた話ですが、社員旅行とは言い條、経費はすべてmr.NZさんのポケットマネーだそうですから。mr.NZさんは常時社員に悩まされている。これは一例に過ぎない。普段幾ら言っても注意を守らない。
関帝廟本殿

 私は中国あちらこちらで駐在員さんの悩みを聞いています。皆さんまず第一にこれを言われますね。馬耳東風。蛙の面に小便。すべてマイペース。共通しています。
万固寺
 次に万固寺に行きます。南下です。山の斜面にある。1千有余年の歴史がある寺。珍しく金ピカでない。と言うことは観光客があまり来ないということ。一部僧坊は「やおとん」。山腹の穴です。そこで坊さんが法話をしてくれる。社員達は関帝廟よりこっちの方がズッといいと言う。彼らにも侘び寂びが分かるのか。

 ここでも例のmr.NZさん用意のカードが使えず入場料を払った。私は関帝廟でも万固寺でもパスポート見せて免費でした。おかしかったのは門番がパスポートが読めないこと。見方が分からないのか字が読めないのか。兎に角「70歳オーバーだよ」とパスポート見せるとチラと見て「通れ」と言う。看不トンなんです。ここら辺りにはあまり外国人は来ないのでしょう。

 何やかんやで進行が遅れ、予定していた黄河の昔の渡し場遺跡には行けずに帰途につきます。この辺は交通不便ですから歓光客が行きませんが(私もmr.NZさんがいらっしゃらなかったら行かなかった)、元々は黄河文明発生の地。万固寺の他にも古いお寺や楊貴妃古里などがある。由緒ある土地のようでした。

 明日は三門峡方面に向かいます。


 昨日、黄河のことを書き忘れました。皆さんご存じのとおり、黄河の河口が干上がってしまった。海まで達しない内に流れが消える。やむなく南調北水。中央政府が長江の水を黄河に引っ張る水路を今作っている。実際ここ上流地域で見ても水量が少ない。やせ細っているのがよく分かります。
 何故そうなったのかですが、やはり一番の原因は気象変化。雨が降らなくなった。二番目は長年に亘り木を切り、畑を増やしたこと。三番目は工場や住民の水の使用量が増えたこと。mr.NZさんのご意見も同じです。 
(写真)微かに光って見えるのが黄河。
万固寺から見た黄河
 気象変化については対策の立てようがない。二番目の対策としては朱首相の時代に「退耕○林」政策を打ち出した。山間地、急傾斜地などでの耕作は止める。代わりに植林するということです。○は忘れました。「休」だったかな? 三番目。内陸部開発で地方政府はどこも企業誘致に懸命です。工場が来れば雇用が増え、税収が増えますから。で、誘致側にとっては思惑通りではないかも知れないけれど、まぁボチボチ工場が出て来ている。それらの工場が井戸を掘り水を使う。結果どうしても地下水が減る。しかしこれを止めることは出来ない。

 住民の生活様式の変化。mr.NZさんのお話では少しずつ農民の所得が上がり、煉瓦で家を建て、「やおとん」から地上に出て住むようになった。「やおとん」では水を確保することが難しい。元々そういう地形にありますから。だから前は水をあまり使わなかった。体も週に1、2回拭く程度。それが地上の家なら水道を引き、シャワーも水洗も使える。塵も積もれば山となる。水の使用量が飛躍的に増えたというわけです。これも「止めろ」とは言えませんよね。

 この先どうなるのでしょうか。黄河が上流で消えてしまうかも知れません。
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