07.05.06 やおとん
黄土高原
黄土高原。この辺はもう河南省三門峡に近い。山西省の東南角になります。

 5月2日。朝9時半mrNZさんチャーターのサンタナで出発。先ず「やおとん」の見学。「やおとん」というのは黄土高原特有の洞穴です。mrNZさんは出発前「会社の近くだから」と事もなげに言いましたが、その「近く」までが小1時間掛かった。彼の距離感覚は既に中国のものです。

 前回書きましが、今や「やおとん」に住んでいる人は少なくなった。そこには彼の会社の部下の奥さんの実家の知り合いが住んでいるとかで、そこを見せてもらおうというわけ。
ヤオトンがある村
黄河の左岸沿いに進み、やがて左に折れ、車のすれ違いが難しいような小道をクネクネと曲がり且つ登って到着。
訪ねた家の門
 煉瓦の塀があり門があり、門を潜ると左に小屋、右に煉瓦の小ぶりな家がある。正面に「やおとん」が三つ。その一つに小母さんが住んでいる。
やおとん正面
中は奥行き9米ちょっと。これはmrNZさん常時携帯のメジャーで測ったから確か。横幅は4米はあったように思います。天井は半円形で高さ4米くらいか。床は「たたき」。「たたき」と言っても今の若い人は知らないでしょう。土を叩いて固めた状態です。
住んでいるやおとん
 置いてある物と言えば寝台一つと洋服タンスくらい。あとは調理台と水カメがあった。まことに簡素。あまりに何もないので後で聞いたらご主人は遠くに出稼ぎに行っているとか。
物置にしているやおとん
 隣の「やおとん」は奥行き15米くらいありましたが二つに仕切ってあり、手前にバイクが置いてあり、奥は使っていなかった。何でも9米以上掘るとこの辺では湿気が強くなって住めないのだそう。
隣家のやおとん
 門を入って右の煉瓦の家には息子を住まわせている。子供には普通の生活を・・という気持ちでしょうか。その家の対面に井戸があった。蓋が付いている。覗くと水面まで深さ3米くらい。ここで水を汲むのかと思ったら、何と余所から運んで来て溜めて置くまぁ言うなれば地下水カメ。トイレは一番塀に近い、と言うことは「やおとん」から遠い庭の片隅の煉瓦の目隠しの後ろ。屋根なし壁なし。地面に一条の溝があるだけ。もし雨が降ったら傘さして用を足すのかな。

 小母さんに何が一番不便か聞きました。やはり水という答え。次に麦刈り。最近は人手不足で大変だとのこと。身なりは質素だけれど、いい顔の小母さんでした。

 表に出て別れるときmrNZさんに、少し離れた所の焼け焦げた半身の大木を指して「あれは日本軍が切った」と。以前何かの本で日本軍が山西省運城に飛行場を作ったと読んだことがある。だから運城に日本軍が駐屯していたのは確かでしょうが、こんな辺鄙な所(その飛行場からは随分距離がある)までわざわざ来て木を切るだろうか? 何かスッキリしない感じが残りました。

 次は更に黄河の川下、るい{草冠+内}城にある永楽宮。初めそこへ行くと聞いたとき、唐王朝の離宮か何かかと思った。でも記憶の底を探っても何も出て来ない。先ずるい城市内で昼食。「肥牛ナントカ」という店で最近流行の一人鍋というのを食べました。野菜、椎茸、春雨、干豆腐、羊肉、牛肉etc。調味料や辣を自分で調節できる。中国の牛肉はどうにもならないと思っていましたが、ここのはおいしかったですね。それにしてもこんな不便な所で冷えたビールとおいしい料理にありつけるとは思いませんでした。

永楽宮
 行ってみたら永楽宮というのは唐王朝などとは無関係。元代からの道教の道観(寺みたいなもの)でした。古い壁画で有名らしい。その壁画は高松塚のそれをもっと大きくしたような物です。建物内の三面に描かれている。撮影禁止でしたので写真はありません。
 ここでもこちらが日本人と知って、壁画の番人が「日本軍が来るというのでみんな逃げた為にほったらかしになってこんなに(画質が)劣化したんだ」と言っていました。私には年代相応の古さに見えましたけれど。壊したとか放火したというなら兎も角、そんな間接的なことまで日本のせいにするのは止めてもらいたい。

 連休中なのにあまり客は入っていない。でもその少ない中で別々に西洋人の若い男を二人見た。日本人にだって殆ど知られていない所にどうして?と不思議でした。美術の方面ではここは有名なんだろうか。
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