07.05.07 函谷関
三門峡市
山西省側から河南省三門峡市を見る。河は黄河。

 永楽宮を後に三門峡市に向かいます。途中mrNZさんによればアメリカ系だという新しい工場がありましたけれど、あとはもう左右どちらも小麦かリンゴの畑。こんな辺鄙な所に作る工場って何なんだろう? 石油コンビナートのミニュチュア版みたいな工場でした。

 畑の中に所々煉瓦造りの煙突がある。何かと聞いたらリンゴの地下貯蔵庫だとか。煙突は空気抜きなんですね。この辺が如何に乾燥しているかが分かります。次第に上り下りが多くなる。この辺は黄土高原の南端で地峡があるから。地峡には必ず「やおとん」があります。けれども殆ど空。放棄されている。

 こちらでは5月というともう初夏ですね。車は日本なら疾うの昔に廃車になっているような代物。クーラー満開でも暑い。長袖シャツ着ているから汗をかきます。Tシャツ1枚で丁度いいくらい。

 ところで、車にはさっきの「やおとん」の小母さんを紹介してくれたmrNZさんの部下が同乗している。旅行なんか滅多に出来ないから連れてってくれとついて来たんです。mrNZさんがその部下に三門峡の名の謂われをを聞いた。部下も更に運転手も知らなかった。私の想像では、黄河に左右から支流が流れ込んでいるからその名があるのではないか。ただ、今はその支流が涸れてしまっている。でも地形を見るとそうだろうと思います。

 黄河を渡り三門峡市に入ります。かなりの街です。先ずホテルにチェックイン。西安老吉さんに手配していただいた三門峡明珠賓館(三星)。それから長途客運站と火車站に行き、明日の洛陽行きの便を確かめる。中国ではこの両者は大体向き合う位置に設置されている。近くて便利です。

 いよいよ函谷関に向かいます。途中の道路が素晴らしかった。広くて真っ直ぐ。新しい。時既に5時前。間に合うかなと心配でしたが未だ開いていた。mrNZさんの曰く、門前の駐車場に車を置くと一番奥の函谷関まで可成り歩く。奥にも駐車場があるからそこへ駐車しようと。奥まで進入するのに40元払う。人の門票が40元だったかな? 私は例によってタダだけど、あと運転手と部下の分も払うんだから、mrNZさんの負担は大変です。
函谷関
 「箱根の山は天下の険 函谷関も・・」でワケも分からないガキの時代から歌い馴染んできた名前。mrNZさんに「函谷関にも行ってみますか。近いですよ」と言われた時は大袈裟に言えば天にも昇る気持ちでした。「いやそれはもう是非」と喜ぶ私を見て彼は「でも行ってみるとガッカリしますよ」と続けて言う。ホントに来てみてガッカリした。なんじゃこれは!
 歌詞の前が箱根ですからどうしても山の中、それも険しい山を連想します。しかし実際は山中ではありません。
函谷関から東を見る
 前に澗河という黄河の支流があって、と言っても今は流れは消えて畑になっていますが、前面は広闊なんです。
(写真)黄河は左の方向。見えません。前の谷が三門峡の一つなんでしょう。
 で、関の背後が地峡。西安に行くには昔は澗河を渡りその狭い地峡に入って行った。地峡の入り口を扼せば寡兵よく大軍を防ぎ得る。そういうことだったんでしょう。今あるのは城壁とその上の楼閣だけ。何と言うことはありません。これで40元も取るのかよ。ドロボーッ!
函谷関古道
(左)関の中にある門。後から作った物でしょう。
(右)その門を潜るとこういう狭い道。西の方、西安に通じます。
西安に通じる古道

 おそらくそういう声が多かったのでは。で、あとから道観を作った。こちらは函谷関の5倍くらいの広さ。入り口で門票を買い、入るといきなり道観です。ズーッと道観の中を歩き、やっと最後に函谷関に辿り着く仕掛けになっている。道教と函谷関と特別な関係があるわけはない。だから不自然な感じです。運城塩湖も永楽宮も遊園地を併設していた。要するに一人でも多く客を集め、収入を上げたい。そういう計算が透けて見えます。

 市内に戻り食事の店を探します。街は可成り大きいけれども人が少ない。活気を感じません。急激に(街を)広げた、(建物を)高くしたのでしょう。名前を忘れましたが西中折衷のビフテキなどを出すチェーン店で食事。私は点心。mrNZさんはビフテキ。「薄いなぁ」と嘆く。部下と運転手はセット物。部下はご飯をmrNZさんに上げ、代わりに饅頭を欲しがる。幸い饅頭はありました。生まれた土地から滅多に出たことのない人って、食物については保守的なんですね。

 ここでmrNZさんと別れ、明日からは一人旅です。
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