08.06.13 水郷安昌鎮
安昌鎮
遠くから見る分にはいいのですが、近くでよく見ると、水が綺麗ではありません。
 5/15
 いよいよ上海に帰る日です。7:30発。晴れ 17.9度 49%。少し遠回りだけれど開通ホヤホヤの杭州湾跨海大橋を渡って帰るというプラン。先ず杭州目指して高速を走ります。やはり黄山は金のなる木。杭州から屯渓まで立派な道路が出来ているのです。

 杭州を過ぎて紹興で高速を降りた。そこでA氏カーナビで何かを調べ、分からなくて通行人に何かを聞き、アッチだコッチだと迷走する。山側に走るので「おかしいな?」と思った。私は跨海大橋を探していると思っていましたから。そのうちに「ここだ」と汚い町に入り、車を停めて「行きましょう」と言う。私は「車で本を読んでいます」と断った。実は前夜からお腹の具合が悪い。今朝は絶食した。だからダルイし食欲もない。するとA氏「折角来たんだから見なくちゃダメですよ」と言う。何が折角なのかよく分からない。私は何も聞いていない。ま、しかし仕方がないからついて行った。水郷でした。

 近代化の波に洗われ、古い建物がドンドン壊されています。ここは珍しく古鎮がそのまま残っているのだというA氏の説明。そうですね。規模は小さいが西塘によく似ています。
回廊−1
回廊−2
回廊−3
回廊−4
水路−1
水路−2
水路の橋−1
水路の橋−2
 適当な店を選んで昼食。私は食べない。お腹を壊したら絶食するのが一番良い治療法なのです。S氏が「何だか悪いね」と言う。「いいえちっとも。(日本では)いつも1日2食だから」。人が食べているのを見ても本当に何ともない。

 今回の旅行で先ずS氏、次いでA氏がお腹を壊した。どちらも元陽で。私はずっと何ともなかった。S氏に一昨日「貴方は丈夫だね」と言われ、「ボクは(アジアの他国ではやられるけれど)不思議に中国でお腹を壊したことはないんですよ」と答えたばかりでした。何が原因か。昨日黄山でお昼に牛乳を飲んだ。車の冷蔵庫に何時も牛乳を入れてあって随時補給しているのですが、どうもそのうちの古いのを私が飲んだよう。口にしたときちょっと変だなと感じたけれど、そのまま飲んでしまった。それが中ったのでしょう。

 ところで、この鎮の人はシッカリしている。食事の時M氏が「お茶を呉れ」と言った。店のお女将はお茶は無いと言ってお湯を出した。M氏の言うには「お女将が勧める高い料理を頼まなかったからですよ。頼んだこれだって20元。十分高いのに30元40元もするのを勧める。それを頼まなかった仕返しですよ」。食事のあとブラブラその辺を歩いて、ある店で髭の爺さんを見付けた。A氏が写真を撮ろうとしたらその爺さん、「うちの店で食事するならいいけれど、そうじゃなければ撮るな」と言う。

 まぁハッキリしていていいんですが、これは何ですね。浙江商人の遺伝子。上海人って中国では嫌われています。がめつい。他の地方を田舎と馬鹿にする。で、その上海って元は漁村です。イギリスによって開港させられ発展し始めたとき雪崩れ込んだのが紹興、寧波の浙江人なんです。彼らは元々算盤高い。上海人=浙江人なんです。今は温州人(浙江省)が中国のユダヤ人と言われています。
烏船
ともあれ、水が汚いのを我慢すれば、ここは風情があります。時間があればこんな船に乗るのもいいでしょう。

 ここを出て再び寧波方向の高速に乗り、余姚・慈渓で降りて跨海大橋に向かいます。ところがこれがなかなか見付からない。案内標識が殆ど無い。迷いに迷って本来なら1時間で行けるところを、結局橋の袂に辿り着くまで2時間半掛かりました。1時間半もムダにした。

 跨海大橋の写真は1枚もありません。撮らなかった理由は橋上に停車できないこともあるんですが、何よりも全く写真を撮る気にならないほど、これという感興が湧かなかったから。ただ長いだけ。周囲の風景も美しくない。海も空も泥色なんです。大体その海と空の境界もハッキリしない。橋の長さは多分、30km強でしょう。時速100km程度のスピードで20分と少しで渡り切りましたから。

 17時過ぎに上海・虹橋のA氏の会社に到着。無事に25日間の旅を終えました。本日の走行距離 587km。(累計  8994km)。
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