10. 学級委員・図書館
東部学生第一宿舎
東部で最も古い学生寮です。私の学生の大半はこに住んでいました。
 授業を始めて2週間くらい経った頃でしたか。2班の班長(日本だと級長)が「先生の部屋へ遊びに行っていいですか?」と言う。こちらも聞きたいことが沢山ある。「勿論いいですよ」。早速同室のメンバー揃ってやって来ました。(写真はこちら。但し卒業後のもの)。

 学級委員のことですが、どうも直接選挙で選出するのではないらしい。立候補して、その候補者の中で互選するのだとか。調整がつかなかったらどうするの?  学生生活指導室というものがあって、そこで調整するのだそう。その指導室って何するの?  学生の生活万端について指導する(見張る?)ほか、政治教育を担当しているとか。週に1回、政治の授業があるのだと。指導室は校舎の1階の階段の対面、学生の出入りがよく見える所にある。入り口の札は「・・指導室」ですが、正式名称は「学生工作室」。どうやらここは党組織の末端のようでした。

 で、このときの班長は上の写真の前列左端の子でした。次の年度には前列右端の子がなった。日本だと学業成績優秀か、面倒見が良くて人望がある学生がなる。しかし、ここでは必ずしもそうではない。指導室のお覚えが目出度い子が班長になる。何でお覚えが目出度いと分るか。左の子は次の年度に党員候補になった。右の子は私の着任当時、既に党員でした。指導室は党員募集もしているのです。おそらくそれは、中央政府が断行した国営企業の大整理と関係がある。党組織の基盤は長く国営企業にあった。その国営企業の大半が改組または整理されたのですから、当然組織力は減衰する。その凹みの補充をしているのだと思う。本来、共産党は労働者・農民の党だった。インテリは嫌われていた。しかし、今はそんなこと言っていられない。風向きが変ったということでしょう。

 面白いことに学業成績トップクラスの連中は学級委員になっていなかった。立候補制ですから、本人が立たなければ選ばれることはない。一番できるハルピン出身の子(下の写真。日本留学で上の写真には入っていません)に、「どうして班長にならないの?」と聞きましたら、「面倒くさいことはやりたくない」と言っていました。勉強の方が大切だと言うのです。もしクラス全員による直接選挙だったら、おそらくハルピン子が班長に選ばれただろうと推測されます。そして写真の班長をした子などが補佐役に回ったでしょう。

 やや脱線しましたが、クラス運営も政治優先という事情がこれでお分かりと思います。なお、班長以外の委員は学習、運動、文化、労働、宣伝、それに組織だったかなぁ。もう記憶がハッキリしません。それに、それぞれの委員がその定められた役割に応じて何かやっていたのかどうか。これも印象に残っていない。前の三つは兎も角、後ろの三つなんか「一体何するの?」ってなものです。ただ党の真似をして名前だけだったのではないか。
w学生
 この写真の連中はその後ずっと、私が離任するまで、本当によく遊びに来ました。私は依怙贔屓と言われないよう他の子達にも「遊びに来なさい」と誘っていたのですが、他の連中はあまり来なかった。宿舎の部屋毎に対抗意識があったのかも知れません。で、以下、初めてこの子達が来たとき、強く印象に残った話題です。
 どうしたら日本語が上手になりますか・・と聞かれた。ごく真っ当な質問。そりゃウンと本を読まなくちゃ。乱読でいいから、兎に角沢山読みなさい。すると「図書館がない」と言う。「エーッ?」と仰天。そんな馬鹿な。大学に図書館がないなんてこと有り得ない。もし本当なら、そこは大学とは言えない。そう言いましたら、「いえ、ホントです」と。よくよく聞いてみると、大学図書館は本科生でないと入れないのだそう。一方、外国語学院に図書室がある。しかし、そこは院生にしか開放されていない。つまり、専科生はどちらからも排除されているということ。それは理屈に合わない。入学させ、授業料を取って、それで図書館は利用させないなんて、そんな馬鹿な話があるか。義憤を感じた

 早速U主任に連絡を取り、図書室を見せてくれと依頼。ついでに他の先生にも紹介して欲しいとも。打ち合わせた時間に会い、図書室に連れて行ってもらいました。本棚には鍵が掛かっている。開けてもらって見てみると、辞書とか夏目漱石など、いわゆる明治期文豪の古い本ばかり。戦後作家のものはない。ましてや雑誌など皆無。そして、置いてあるものもカビが生えている。誰も利用していないこと明々白々です。

 これじゃ専科生と言わず誰に開放しても利用しないだろう。でも、なぜ利用させないのか聞いてみました。「お金がありませんよ」。管理者を雇う予算なんか無いんだと言う。横でカードを整理している女性がいました。「この人は?」。「この人は元ロシア語の先生です。この人には頼めない」。何だかよくワカラン。最後に「私は主任だけど、主任手当なんて一銭も出ないんですからね。タダ働きしている上に図書室の管理なんかやれますか」と。まぁ一応言い分は分るけれど、この何という熱意の無さ。暗澹たる気持ちになった。そしてつくづく学生が可哀想になりましたね。

 図書室のあと、教師控え室に連れて行かれた。誰かいるだろうということだったのでしょうが、一人もいなかった。「ここへ皆さん来る筈ですから、これから寄ってみてください」で終わり。日本語科としての歓迎会なんて匂いもしなかった。他の先生とはその後、校舎内外ですれ違うとき、日本語の先生かな? と勘が働いたら、こちらから声を掛けて挨拶した。まぁひどい扱いでした。今想い出しても溜息が出ます。赴任前に、U主任に宿舎のnet環境について照会しましたが無視された。あれもきっと「外事処に聞け。(主任手当貰ってないんだから)オレの知ったことか」という意思表示だったのでしょう。

 また図書の話になります。思い余って私の元の職場と、参加している湘南国際交流会に図書の寄贈をお願いしました。やがて交流会から段ボール一箱の本が届きました。本当に有り難くて涙が出そうになりました。早速学生達を呼んで披露しました。連中も喜びましたが、いざ借りるとなると、読みたいものが少ないと言う。いただいた本にはやはり漱石などが多い。学生達は正直に言うと、最近の雑誌とか漫画を読みたいのだそう。送ってくださる方は年配で、しかも真面目な方ばかり。だから若者の要求とずれてしまうんですね。私ももし日本にいて「本が欲しい」と頼まれたら、やはり同じようにしたに違いありません。将来もしまたこういう機会があったら、そのときは漫画を送るとするか・・と思いました。ただ自分は持っていないから、人から貰うわなくちゃなりませんが。
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