12. English teachers
ピーター
右からG外国語学院長、ピーター、S副院長。これは次年度に入ってからの写真。

 校舎は東部の隅の隅にあった。ここから想像するに、外国語学院の歴史は多分この大学では新しい方でしょう。元々が師範学校。語学についてそんなに需要があったとは思えない。中学・高校の英語教師なら上海外国語大学がある。そちらの卒業生で十分間に合いますし、レベルも高い筈。上師大は、他の大学も同じ傾向と聞きましたが、改革開放後、師範学校から総合大学化を目指して膨張し続けてきたようです。

 それはそれとして、学院には昔は英語とロシア語の二科あったそうです。ロシア語科は例の毛沢東とフルシチョフの仲違い後尻すぼみになって廃止。そして日本語科が専科でスタートした。英語科は本科です。だから院長も副院長も英語の教師。図書館で見掛けた元ロシア語の先生(女性)は、ロシア語科が消滅しちゃったので、代わりに司書みたいな仕事を宛われたのじゃないでしょうか。その後もときどき見掛けましたが、元々おとなしい人だったのでしょうけれど、何だか影が薄い人だなぁ・・という感じがしました。自分の足場が無くなっちゃうと、誰でも自然にそうなるんでしょうね。

 英語科には外国人教師がかなりいましたね。ただ、その中身になるとよく分らなかったです。つまり、大学同士の提携関係で来ている教師なのか、それとも個人で募集に応じて採用になった人なのか。任期は何年なのか。更に、例えば福祉何とかなんて数ヶ月の特別講座の講師だったり、何かの調査の必要があって来ているとかの短期の来中者もいる。だから多いときには10人近い外国人がいました。一つだけハッキリ分ったことは、この学院はアメリカのユタ大学と提携関係にあった。そこから任期2年で教師が一人派遣されて来ているようでした。あとの人達は常任でも大体1年契約のようでした。国籍はアメリカ、カナダ、オーストラリア、アイルランド。

 一番最初に口を利くようになったのは、上の写真のピーターです。オーストラリア人。部屋が斜め前でよく顔を合わせていたんです。そのうちに前回書きましたハイアットの行き違いが起きて、「君どうして来なかったの?」と聞かれ、「いや、こういうわけで・・」と話してから多少親しくなった。たまたま日本から私の家内が来まして、労働節に桂林へ行こうということになった。京都教育大から交換留学で来ていたT君にその話をしましたら、「桂林ならピーターが詳しいですよ」と言う。そこでピーターに相談持ちかけた。英語のガイドブックをコピーしてくれたり、桂林には泊るな陽朔に泊まれ等々、懇切丁寧に教えてくれました。何でも桂林には既に4回行っている。まだまだ行き足りない。あんなに素晴らしい所はない。また近いうちに行きたいと言っていた。この人は独身でした。

 労働節が来て、彼に教えられたとおり桂林を素通りし、陽朔に直行。彼に教えられたことは全て正解でした。でも、3日間連日雨に降られた。ピーターのせいではないけれど、これには参りました。詳しくは「旅行記のページ」をご覧下さい。

Gilian
 次ぎに口を利くようになったのは、左の写真のGilian。真ん中の女性です。アメリカ人。意外なことに「出自はイギリスだ」と力説していた。フィリピン人ってやたら「オレの姓はSpanish nameだ」と言います。まぁフィリピン人ならそれはワカランことはない。でもアメリカ人がそんなこと言うとは思わなかった。彼女は私が持っていたデジカメを大層珍しがりました。
 よくアイリッシュバーの話をしていたので、一度連れて行って貰ったことがあります。こういう人達って気が長いというのか何というのか、小瓶一本のビールで2時間くらい平気で居られるんですね。顔見知りの人などとタバコをふかしながら悠々としゃべっている。尤もそのビール、決して安くない。確か1本100元だった。給仕の小姐はチャンと心得ていて、日本人の私にだけ「お代りは?」と迫る。Gilianの1本の間にこちらは2本飲んでなお間が持たず、この時は先に帰って来ちゃいました。

 そのアイリッシュバーですが、衡山路の近くの旧フランス租界にある。庭付きの古いお屋敷をそのまま使っている。夜9時くらいからあちらの歌のアトラクションがある。私なんか聞いたこと無い歌ばかりだった。客は全部アイルランド人かどうか分りませんが、圧倒的に男が多く、殆どみんな立ったまま飲みかつ談笑している。あちら方面のそれは文化なんでしょうね。カナダがそうでしたから。このGilianは次年度には華東師範大学へ移って行きました。

 写真左の女性はアイルランド人。ローズマリー。Gilianもそうでしたが、英語の中の何が専門か私聞かなかったから分らない。20代前半に見えました。1ヶ月ほどアイルランドからボーイフレンドが来て泊っていましたが、この写真を撮った時に話が出て、「彼は二人目のボーイフレンド。どうも今一つだから結婚はしない」なんて言っていた。次年度には帰国しました。右端の女性はイギリス人。Gilianの所へ遊びに来ていた人で、他所でやはり教師をしていると言っていた。

 他にも何人かちょっと口を利く程度の知り合いができましたが、面白いと思ったのは、任期満了になっても帰国しない人が結構いたこと。上海に彼女ができたからとか、ここはexcitingな街。面白いからここで商売を始めるとか。実際、私が離任して2年後、SARS直後に上海へ行ったとき、偶然地下鉄の中でそういう一人に会った。そのときは名前も思い出せないし、中国人の中で下手な英語しゃべるのも嫌で、気がつかない振りをしてしまった。ところが日本に帰国すべく浦東空港へ行ったら、待合室でまたまたこの男にバッタリ会った。向こうもアメリカへ商用で一時帰国するのだと。飛行機は成田経由のNWでしたから。何しているのか聞いたら「宝石商をしている」と。宝石って言っても、淡水真珠とか玉の腕輪。アメリカへ持って行って売っているらしかった。景気どう? って聞いたら、「まぁまぁ」と言っていましたし、席はビジネスシートでしたから、きっとうまくいっていたのでしょう。この人はユタ大学から来た人で、子供が何人も居る人でしたけどね。教師の将来に見切りを付けたのかな。

 昨今中国にはまる日本人が多い。しかしそれは日本人に限らない。アメリカ人にも同じようなのがいる・・ということです。
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