15. 中国人の先生達
東部キャンパスの道
東部キャンパス。この道を左へ行くと外国語学院。真っ直ぐ行くと学生食堂。

 U主任から只の一人も同僚の先生を紹介されませんでしたが、こちらからそれらしい人に声を掛けたり、日本人のM先生に紹介していただいたり、向こうから声を掛けられたりして、次第に知り合いが増えました。今回は中国人同僚のお話です。

 最初にO先生。40代の女性。以下はM先生から伺った話です。前は小学校の先生だったらしい。M先生が着任されたらすぐ、「いろいろ教えを乞いたい」と接近して来た。そして1時限目にM先生の授業を参観。すべてをノートに取る。そして2時限目の自分のクラスでノートそのままの授業をする。勿論、同じ課目の授業です。それを1年間続けたそう。その間「このご恩は一生忘れません」と始終言っていた。ところが1年終わったらもうケロッとしている。「まぁ本当に現金なものです。あの人は典型的な上海人です」と、今度はM先生が繰り返し私に言っておられた。後にM先生がお辞めになり帰国され、年賀状を出したけれど何の返事も無かったそうです。M先生は前に北京外語学院で教えた経験がお有り。状況一般が悪い昔のことですから、例えばお米が買えないなど生活上の不便はあったそうですが、「でも北京の人はとても優しかった。それに引き換え上海人は・・・」とよく述懐しておられました。

 このO先生。私にも同じようなことを。校舎の前で紙を持って待ち構えていて、「ちょっと教えてください」。何かと思ったら五木の子守歌についての誰か日本人のエッセイです。「おいドンはかんじんかんじんあん人たちゃよかし」という歌詞。この「かんじん(注)」は乞食のこととされているが、実は韓人のことである・・という要旨。これを解説してくれということ。「後日お部屋に伺いますから」とそのコピーを押し付けて帰って行った。その後本当に私の部屋に現れ、一度の説明で分らなかったらしく、また別の日に同じことを聞きに来ました。そしてやはり「ご恩は忘れません」と言って帰った。遠慮無く言わせてもらえば、この人は例え相手が格下の専科生でも、大学で教える能力はない人なんですね。どうしてそういう人が雇われているのか不思議でした。(注)字は勧進。

 So先生。40歳そこそこの男性。名刺に文学博士とある。日本の民族学博物館で取ったのだそう。そんなことってあるのかなぁ? と私前に書きましたが、しかしこの人はいい人でした。人柄がサラッとしていた。翻訳を担当していましたが、学生にも評判が良かった。この人にも道で会った時とか、電話でよく質問された。例えば「日本人は三和とか<三>が好きですね。天地人と言うし。すると山に海。あと一つは何でしょう?」。「親(師)の恩は山よりも高く海よりも深い。山海の珍味。山と海は対で使われる。何でもかんでも三字にするとは限りませんよ」と答えておきましたが、かつて考えたこともない質問をされることが多くて、結果、私も勉強になりました。

 このSo先生はU主任が大嫌い。話の成り行きでU主任のことになるともう糞味噌に言う。こちらが話の途中で「まぁまぁ」と宥めるくらい激しかった。U主任嫌いが嵩じて後にこの人は隣の人文学院へ移籍。「今度は何するの?」と聞いたら「Field workのナントカ」と言っていた。民族学博物館に留学したくらいですから、元はそちら関係が専門の人だったのかも知れません。

 L先生。30代の女性。日本政府給費留学生として四国の某国立大学教育学部で修士号を取って帰って来た人。ご主人が博士号を取るため名古屋大学に留学しておられた。「もう別れ別れになって2年経ちます」という話。小学校5年生のお嬢ちゃんと二人暮し。中国の人は本当に辛抱強いですね。この方は会話を担当しておられましたが、一度見学させていただいたら発音が良くない。これじゃ学生の発音も良くならないと思った。勿論私、そんな感想などおくびにも出しません。ただ、「担当は誰が決めるのですか」と質問したら、U主任が決めるのだと。そして「日本から帰って来てU主任にいろいろ進言したら、却って遠去けられました。だから今は何も言わないことにしています」と。どうもU主任の日本語科運営は恣意的のようで評判が悪かった。

 Zo先生。20代の可憐な女性。華東師範大学で修士を取って着任したばかり。この人も自学習生班(注)のクラスとか、半端な仕事をさせられていた。一度外賓楼でバッタリ会ったので食事に誘って話したことがありますが、自分としては精読を担当したいのにさせてくれないと不平を言っていた。ここまででお気付きのことと思います。U主任は博士、修士が嫌い。彼は上海外語大出身と自称していましたが、実は大学の専科さえも出ていない。だからコンプレックスがあるんでしょう。
(注)いわゆる聴講生。正規の専科生と同じ授業を受けますが、修了しても大専卒の資格は貰えない。大学が副業で受け入れている人達です。

 最後にZe先生。50歳近い復旦大学卒の女性。クラスは週一コマだけで、専ら上海外語大で教育学の修士を取るべく勉強中でした。何でも何年後かには大学教師は全員修士以上でなければならないと教育部辺りから方針が出ているらしい。それに備えているのです。で、この人は日本語科教師の中では抜群に優雅な生活をしている人らしかった。日本人のM先生が「新居に移ったから」と、このZe先生に招かれた。行ってみたらもう広さと言い内装調度と言い大変豪華なマンションで、M先生は卒倒しそうになったとのこと。Ze先生は「主人が株で儲けた」と説明したそうですが、そのご主人は税関の役人。どうなんでしょうかねぇ? というご感想でした。

 もう一人接触があった先生がいますが、その方はまたこの次ぎにご紹介します。
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