7. Daily life
外賓楼6F
外賓楼6Fの階段室。手前のカウンターに時々アーイーが座る。

 分らないこと、驚くことばかりながら、まぁなんとか教師生活が回転し始めました。ここで少し、毎日の生活の場、外賓楼のことをお話しします。

 私が入った部屋は、当然のことながら空室だったから入れたのですが、入ってすぐ、何故この部屋が空いていたか納得がいきました。この部屋はすぐ隣が階段室で、そこにエレベーターがある。そのエレベーターが動くときゴロゴロと音を立てる。響くのです。
 エレベーターの向こうは単身者用の部屋。ホテルのTwin bed roomと同じ造り。そちらはもっと響くだろうと思います。そこは独身者または短期講師用に使われていました。
  それはそれとして、この部屋のもう一つの難点は北向きということ。終日陽が当たらない。だから、この部屋は北側の家族用房で一番悪い部屋ということになる。空くわけです。

 毎朝、と言っても平日ですが、7時半にはマーチが鳴り響く。これで大抵目が覚めます。ここで目が覚めなくても、8時前にはひっきりなしにエレベーターが動きますから、ひっきりなしにゴロゴロと音がする。泥酔でもしていない限り、否応なしに目が覚めます。まぁこのエレベーターは、モーニングコールみたいなものでした。

 朝食。初めのうちは毎朝下の食堂へ行き、お粥を食べていました。私、お粥自体は好きなんです。毎日食べても飽きない。しかし、ここのお粥は薄い。まるで重湯。そして高い。更に気に食わないことには、この食堂8時半になると一旦閉店になるのですが、その前に片付けを始める。例えば8時10分に入りますね。注文して食べていると、食べている横でテーブルクロスの取り替えを始める。パアーッと布を広げますから風が来ます。幾ら何でも失礼じゃないか。だから睨み付ける。でも、相手は平気の平左。この辺は正に国営企業の感覚。お客より自分が早く帰る(仕舞う)方が大切なんです。そういう事情で、朝食をここの食堂で取るのは1週間くらいで止めました。

 後はどうしたか。正門を外へ出て右へ行くと文房具などの商店が並んでいる。これらの店の大家はおそらく大学じゃないかと思います。敷地は大学の一角ですから。この辺は日本の大学と違う。中国では大学といえども片手に算盤なんです。で、その商店の中に快餐店があります。ここで朝は包子(パオズ)と豆腐花(トウフファ)と豆乳、小龍包を出しています。私はここで菜包2個と豆腐花を、任期満了で帰国するまで食べ続けました。菜包2個と豆腐花丼1杯各1元、合計2元。毎日食べて飽きることはありませんでした。

 しかし、飽きることはなかったけれど、買うのは大変でしたよ。兎に角みんな授業に出るか出勤するわけですから短い時間帯に人が集中する。包子の「せいろ」の周りに人が密集して我勝ちに小銭を出す。売る方は一々順番なんか気にしていられない。目の前に突き出された手から売っていく。勢い買う方は押し合いへし合いになる。これはちょっとした運動でした。そのうちに私、昼食、夕食もここで取るようになって、店員と会話するようになった。そうしたら、その後は私が例え後ろの方にいても、顔を見た途端最優先で売って呉れるようになりました。こちらが後ろめたくなるくらい露骨。こんなに小さい所でもコネの社会。いや、外国人に親切と言うべきなんでしょうか。
あーいー
 部屋の掃除。毎日午前中にアーイーが来ます。ノックして入って来る。私が居なければ合い鍵で入る。掃除機で掃除していきます。ベッドの布団やシーツは備え付けです。布団カバーとシーツは確か1週間に1回の取り換えでした。バスタオルは毎日取り換えてくれました。
  洗濯は一階に洗濯室がありコインランドリーのように硬貨投入式になっていましたが、私は面倒なので、下着以外はアーイーに頼んでいました。それは彼女たちの副収入になるようでした。シャツ1枚で3元くらいだったと記憶しています。

 アーイーは通い。仕事は楽なように見えますが結構きついようで、写真の若い方の子はこの写真のあと、腰痛で辞めていきました。こんなに若くても子持ちでした。私、アーイーにも日本から持って行ったキャラメルとかホカロンなどを上げていましたので、みんな親切にしてくれたというか、何か頼むとよくそれに応えてくれました。気は心ということですね。
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