9. 授業をしてみると-3
東部池畔
東部キャンパスの池。これは藤の花でしょうか。4月頃の写真です。
 不可解なことのトップ。出席率が良い割に全体に出来が悪い。作文を読むと、日本語に近い文を書く学生は2班に一人しかいなかった。1班には皆無。日本語に近い文。この説明は難しいです。後日このように回想記を書くかもしれないと予感でもあったなら、適当なサンプルを保存しておいた。でも当時、そんな気は全くありませんでしたから、何も残してありません。だから今、ここで原文を提示して説明することができない。

 一番多い間違いは、前にも書きましたが「てにをは」。これはもうどうしようもない。その他色々あって、殆どの学生が文章になっていない。出来の良い一部の学生も、何かがおかしい。「この出来の良い」の内容ですが、文法や語の用法にあまり問題がないということです。それでもおかしい。「それは何なの?」 と問われれば、まぁフィーリング、感覚でしょうか。書き手の認識、感情が伝わって来ないんですね。これも突き詰めて行くと、書き手が中国人の感覚から一歩も出ていないからなのか、それとも日本語の表現方法、技法を掴んでいないからなのか。二つの側面があるわけです。

 それはある程度仕方がない。漢語は言葉が短くて、意味が明確です。日本語は言葉が長い上に、似ているが微妙に違う表現が多い。「そよそよと吹く風」、「頬を優しく撫でる風」、「春を想わせる柔らかい風」。快感を伴う風の表現一つ取っても、今ちょっと考えただけで三つくらいすぐ出て来る。「おもう」だって、想う、思う、懐う、念う。当て字を使えば微妙な差を表すことができる。反対に言うと、日本人の情念にはそういう微妙な違いがあるということです。このような日本語の感覚や言葉の扱いを、2年間で身に付けるのは確かに難しいかも知れない。

 でも、ですね。99年1月。J市から日本へ引き揚げるとき、上海でちょっと立ち寄ったデパートでのこと。偶々鹿児島県物産展というのをやっていた。私、敗戦前後の5年間、鹿児島に住んで居ました。懐かしくてそのブースを見て回った。「かるかん」があったら買おうと思った。係の若い女性に聞いたら「ありません」と言う。鹿児島名産の「かるかん」が無くちゃ話にならんね・・と言ったら、私はアルバイトなもので・・・という答え。それまで私、相手は日本人だとばかり思っていた。よく聞いてみたら、上海外国語大学日本語科の3年生でした。いやもう、見事な日本語でした。下手な日本人よりいい日本語。そういう経験がありますから、日本語漬けで2年も勉強すれば相当なレベルまで行く筈。そう信じていた。そう信じても「それはお前の勝手な思い込み」と責められることはないのではないか。

 元に戻ります。一人だけ日本語に近い文を書く子はハルピンの出身でした。父親が下放青年だったそう。その権利で上海の大学へ来ることができた。第一志望は復旦大学だった。でもこちらに回された・・と言っていました。復旦は上海一の大学です。全国でも五指に入る。例え落ちたとしても「復旦を受けた」というだけで、他の学生から畏敬の念で見られていました。ということは、取りも直さず、この上師大はレベルが低いと学生自身が認めていることになります。

 学生の席の取り方。各人自由に座れるのですが、毎時間大体同じ所に座る。出来の良い子は前に座ります。悪い子は後ろに座る。これは1,2班共通です。1班ではいつも悪いのばかりがブロックになっていた。そして、その連中は私語が多い。授業を始めて静かなのは10分間だけ。15分経つと、もう仲間内でしゃべっている。うるさいから、そいつらに当てる。質問するんです。すると、大体「分りません」と言う。これはまだいい方で、一人、当てられても無言の奴がいた。すると、周囲の連中が懸命にその子(男)に何か言う。私の言ったことを翻訳して伝えているんです。やがてその子はゆっくりと立ち上がり、「分りません」と一言。何もワカランのです。でも毎時間キチンと出席する。一体全体これはどういうことなのか?  私にはどうにも理解できないことでした。

 そうそう。こちらではみんな、教師に当てられると席を立って答えます。初めは黙っていましたが、私はセッカチ人間。そのうち面倒くさくなって、一々立つな! ということにした。時間の無駄ですから。この国は禁則がやたらに多いところでお分かりのように、形式面を重視する嫌いがある。形ではなく内実を重視するように変らないと、本当の進歩は始まらない。私はそう見ています。

 2班は1班と違って明るかったですね。大半の学生は授業を楽しんでいた。一人だけ、いつも寝ている子がいました。Cという自宅通学の女子。両三度校門前でタクシーから降りるのを見ましたから多分、親は裕福なんだろうと思います。なんだかいつも生気がない。でもよく見ると、磨けば女優になれそうな美人。「君は女優になればよかったね」と半分お世辞で言ったら、「フン」ってな顔をされた。私にそんなですから、クラスに一人も友達がいない。この子だけ時々休む。遅刻する。出席しても机に突っ伏して寝ている。どうして出て来るのか理解できない。でも、私語をしないから邪魔にはならない。おかしな子でした。この子には後で手を焼くことになります。
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