04.05.05  施洞鎮
水牛も参加
水牛も飾りを付けてお祭りに参加。

 簡単な食事をして軽のバンをチャーター。この辺の段取りの付け方はテキパキしていて、とても女性とは思えません。そうそう。実はこのグループ6人、全員女性なんです。私を含めて総勢7人がバンに乗り込み、施洞鎮へ向かいます。私は何もしないでいいだけではなく、助手席という特等席に乗せられ、さながら「髪結いの亭主」状態。

 今度は道路は未舗装。山道。施洞鎮まで山を五つくらい越えましたでしょうか。未舗装にもかかわらず、道は荒れていない。おそらく、交通量が少ない。特に重いものを載せる大型車の往来が少ないのではないかと思われます。

 途中の観察。植生は非常に日本に似ています。灌木に松と檜が多い。松はどうか分かりませんが、檜は植林したものと思われます。所々竹藪もある。たまに現れる部落の人家も木造で、木組みが日本の民家のそれに似ている。稲むらの立て方も日本のそれに似ている。違う点は日本は田の中に木の柱を立てますが、こちらのは自然林の樹を利用している。田は菜種を収穫中の所と、田植えに備えて鋤いてる所と半々くらい。牛は水牛です。鋤は昔日本で使っていた物とそっくり。所々に苗床が。形が日本と同じ。懐かしかったですね。

 時々、石壁などに「子供の就学は親の法律的義務」と書いてある。また、道の上に「両基絶対完遂」とか、「普及義務教育掃文盲」なんて横断幕がある。「両基って何だ?」と聞きましたら運転手が何か印刷された紙を寄越した。9年の義務教育の普及と文盲の一掃と書いてありました。現状就学率が低いということなんでしょうね。それだけ貧しいんだな。地方政府もやらなきゃならないことが多くて大変だな・・・と思いました。

姉妹飯1
姉妹飯2
 施洞鎮まで2時間近くかかりました。小さな村ですが、民族衣装の人がたくさん。娘達の衣装は朱の衣装に銀の冠。衣装には刺繍と銀の鋲。首に銀の首飾り。歩けばチャラチャラと鈴のような音が。みんな田の中の小道をどこかへ向かって歩いて行く。
 付いて行きました。着いたところは川原。なかなか大きな川があり、川原も広い。そこにザッと2000人くらいの人が密集していた。壮観です。土地の人が70%、観光客が30%くらいかな。欧米人も来ていましたね。部落毎の単位でもあるのでしょうか。グループがあって、それぞれ中央で二人くらいが小太鼓を叩き、その周りを銀衣装の娘達が踊りながら回ります。私もその一つの輪に入って踊りました。
踊りの輪
幼女1
幼女2
飾りは成長につれて多く、大きくなるようです。

(左)まだ赤ん坊。
(右)親にアイスクリームを食べさせて貰
  っている。就学前の子供でしょうか。

 あまりゆっくりもしていられない。写真を撮り、川原を離れ鎮に戻ります。民族芸術品展示館なるものがあった。そこで買い物。私、ザッと見て、小さな刺繍をランチョンマット用に三枚ほどサッと買った。見て、買うまで10分。ところが他の連中は長い。やっぱり女性。ためつすかしつ、その息の長いこと長いこと。私堪りかねて、「早くしないと貴陽に帰れないよ」とせっつきました。何しろ帰りのバスは確か8時が最終。ここから凱里まで、どう急いでも2時間は掛かる。既に出発予定の5時半を過ぎている。早くしてくれっ!

 出発は結局6時。帰りは来た道とは別の舗装道路。台江を通らない凱里直行の道でしたが結局2時間掛り、凱里に着いたときは8時を回っていました。グループの中にお茶目なのがいまして、真っ先にバス站の窓口へ飛んで行き、後から行った我々に「バスはもう無い」なんて言う。待合室に人影は無し、一瞬ホントかと思いました。こりゃタクシーチャーターかと覚悟しました。何が何がそれは真っ赤な嘘。私が帰りの足を心配していたものだから、人を担いだのです。来るときに乗った最高クラスのバスは既に終わりだったけれど、その下のクラスの快速バスの最終がありました。それは40元。一同めでたくそれに打ち乗り、貴陽着が11時少し前。

 晩飯は貴陽で食べようと言っていたのですが、着いたらみんな疲れて早く寝たいと言う。費用は割り勘で60元でいいと。ホントにそれで足りているのかどうかワカランのですが、言われるままにそれだけ払い、「それじゃ」と再会を約して別れました。道々筆談ながら、いろいろ話ができて楽しかったです。こういう出会いも旅の醍醐味の一つですね。 

 明日は貴陽市内の見物です。
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