15. 生徒との交流-2  中級の2回目の授業。休み時間に張が来て、「先生のお宅に伺ってもいいですか?」とつっかえつっかえ日本語で言う。「はい。どうぞ」。次の日曜に来ることになりました。
 2)  張
  当日、張、偉、郭、毛の4人がやって来た。お決まりの家族の話になる。みんな既婚で子供がいるのに、偉だけがいない。旦那は医者で現在、博士号を取るために北京大学に国内留学している。もう1年も会っていないとのこと。それはいくら何でも可哀想じゃないか。何で一緒に行かないの? 今の勤めを辞めたら生活できません。それに1年くらいの別居は少ない方で、海外留学などで2年、3年離れている夫婦が結構いますよ。それにしても淋しいねと慰めたら、始終電話で話しているし、それにあと半年で帰って来る予定ですとのこと。ちょっと日本では考えられない話です。

 私がおごるつもりで、外で食事を・・と誘う。「どこでも好きな所にしなさい」と大きく出ました。この前、Y姉妹と3人で食べて80元。1200円足らず。大したことはない。日本の感覚では、ここのレストランは安い。 連中中国語でワイワイガヤガヤやっていましたが、その結論を聞いてびっくり。ケンタッキーへ行こうと言う。中国では肯徳基と書く。マクドナルドが進出しているのは聞いていたけれど、ケンタッキーも出ているとは知らなかった。マックは麦当労と書く。どちらも街の中心部にあるという。じゃタクシーで行こうか。いえいえ先生お一人で乗って下さい。私たちは歩いて行きます。なんで?

 外へ出て理由が分かりました。みんな自転車で来ている。これではタクシーには乗れない道理。全員約15分トコトコ歩く。途中、代わる代わる話しかけてくるけれど、毛は無言。会話は不得意の様子です。 店は内装も何も日本と全く同じ。行き交う会話が中国語だというだけの違い。休日なのでほぼ満員。見渡すと、さすがに年寄りは少ない。若者か子連れの夫婦が多い。みんながケンタッキーを選んだ理由は、本当はマックにしたかったけど、行って見るまでもなくこの時間帯では座れないからだ、とのこと。

 中華料理は世界に冠たるものだと思うけど、何でこういう店が好きなの?と聞くと、おいしいし、近代的な感じがいいと言う。ケチつけるのも悪いからそれ以上言うのは止めた。でも高いと思う。バーガーにフレンチポテトにコーラで25元くらい。これだけの人数なら、一人頭その程度の値段で、ちゃんとしたレストランで食事ができるのに。思うにここで食事するのが一種のステータスになっているのではあるまいか。ハイカラさんの気分なんでしょう。勘定を払おうとしたがどうしても受け取らない。中国では生徒が払うんですと言って聞かない。誘ってかえって気の毒なことをしました。

 張はこの次の休日に、日本人の先生を紹介すると言う。ここには大学があって、そこに日本人教師がいるのだそう。それは意外。一も二もなく「行きましょう」ということに。 当日、宿の近くの展銷館で待ち合わせ。博物館のような名前ですけれどこれはデパート。銷という字は初めて見ました。銷=商らしい。J市商業場とか中国工商銀行のように商も使われていますけれど、むしろこれは少数派で、看板などを見る限り銷の方が圧倒的に多く使われています。

 張は市のお役人Li氏を連れてきた。頂戴した名刺によると農業の専門家らしい。しかし張は「私の先生です」と紹介する。どういうことか聞いたら、日本語の先生だそう。私塾のような形で教えている。「先生のクラスに私の教え子がたくさん入りました。彼ら(の出来)はどうですか?」と聞かれたので「それは誰ですか?」と訊ねたら、食品公司の4人に張、偉、呉、李と8人もいる。アシスタントの小Xもそうらしい。みんななかなかよくできますよ、と答えておいた。ふと思いついて、一度授業を見に来て下さいと誘ったら非常に喜ばれた。「本当に構わないんですか? 先生の授業は楽しいとみんなが言うので一度拝見したかった」と言う。情報が伝わっているようです。私はどなたでも歓迎します。ご意見をお聞きしたい、と言っておく。

 前に、日本語塾のようなものが市内に何か所かあると聞いた。そうか。彼はその一つの主宰者なんだ。それで、今その塾はどうしているか訊ねたら、休んでいますという答。今度の私のクラスが客を取ってしまったに違いない。「私のせいですね」と言ったら、「いえいえ今忙しいので・・。そのうち又始めますよ」と大人の答。しかし、この国ではお役人が半ば公然と副業ができるのですね。日本では確か公務員は就業規則上副業禁止ではなかったか?

  展銷館から大学までタクシー。10分以上かかりました。これだけ走ると田舎のことですから人家が減り畑が多くなります。タクシーは構内進入禁止ということで、正門から専家楼までトコトコ歩く。構内は広大。山林原野の中に建物がポツリポツリと置いてある感じで、せせこましい日本の学校とは比較になりません。途中なだらかな坂を上ったり下ったり。目的の専家楼まで実に15分もかかりました。

  訪ねたTO先生は、元電機会社の技術系社員だったという小柄な人。年齢は59歳。国際文化交流協会という所からの派遣でここへ来て2年目の由。こちらがJ市に来ることになった動機など説明しても、先方はそれに対応する話をしない。アルクとかパナリンガとか検定試験などを話題にしても乗ってこない。月刊「日本語」も知らないらしい。どうもいわゆる日本語教育畑の人ではない感じです。

 ここで、ちょっと日本語教師なるものの資格・条件について説明しておきます。いわゆる日本語学校で外国人に日本語を教えることついて、教員免許のような資格は特に法定されていません。日本語が話せれば誰でも教えていいのです。それでも教壇に立って教えるとなれば多少の心得は必要ですから、日本語学校の先生には昔は元中学・高校の国語教師といった人が多かったようですが、そういう経験のない家庭の主婦も多かった。今でも多いです。スーパーなんかで働くよりは体裁がいいし第一、知的な仕事ですから。

 80年代の後半に至り、雨後の筍のように日本語学校ができ、素人教師も急増します。こういった学校は海外からの出稼ぎ渡航者の格好の隠れ簑になりました。彼らは日本語学校に籍だけ置いて昼夜を問わず働き、金を稼ぐのです。当時、日本入国には保証人が必要でしたが、日本語学校の保証も認められることを悪用して、上海辺りまで出かけて行って生徒を募集し、入学金を集めてドロンするインチキ学校まで現れ、国際問題になりました。事ここに至って遂に政府も重い腰を上げざるを得なくなり、法務省は就学生の入国管理とビザの延長を厳格化し、文部省は野放しだった日本語学校を施設と教師の質を基準とする認可制に改めたのです。教師の質について具体的にどうしたかというと、日本語教育能力検定試験というものを始め、この年以降、「雇用する教師の中に検定試験合格者が何名以上いること」という指導基準を設け、年々その基準を上げ、これをクリアするよう日本語学校に求め始めたのです。そこで現場の教師たちは、俄かに学校から検定に合格するよう要求されるようになりました。

 この他にも教師になるコースはあります。一つは大学の副専攻過程というもの。これは検定試験の開始と同時くらいに創設されました。多分、教職課程に似たようなものでしょう。もう一つ。この副専攻過程の教科と時間数(420時間)に準拠した民間の教師養成講座。これは沢山あります。故T先生はNHKの養成講座を修了された由。正確なデータは知lりませんが、おそらく現在の日本語学校教師の出自別構成比は、検定合格者と養成講座出身者が半々くらいではないでしょうか。ついでに言うと、養成講座を修了するより検定合格の方が(当然のことながら)遙かに難しい。合格率17から18%ですから。しかし、教師としてどちらの出身者がいいかとなると、これは何とも言えないですね。教育能力は学力だけでは測れません。例えば、東大出でも非常識な人間は沢山います。それと同じことです。因に故T先生は、鎌倉でもJ市でも大変人望のある方だったそうです。

 ところで海外ではどうかと言うと、アルク発行の月刊「日本語」でたまに見る海外大学からの求人条件は仲々厳しいです。学歴は修士以上で教育経験2年以上とか、英語圏だとそれにプラスTOFIC500点以上などというレベル。私などはハナから問題にならない。だから、行けるとしたら今度のJ市政府程度の所しかないのです。

 本筋に戻ります。TO先生は仮にも大学の先生だから、そういった条件を具備した方だろうと想像して来ましたが、どうもそうではないらしい。初対面で根掘り葉掘り聞くわけにもいきません。向こうもこちらに質問しません。当たり障りのない世間話で終始。ただ、狭い宿舎で原則自炊しておられるのには敬服しました。「私はフィリピンへ約半年単身で行って親戚に非難めいたことを言われましたが、貴方はその点は?」と聞いてみたら「いや、全く問題はありません」という答え。教え子の学生が数人訪ねて来て、狭い室内に入り切れないので「一度お遊びにお出で下さい」と挨拶して辞去。

 タクシー代もお土産代も「私が払う」というのに張君が払いました。「給料は安いんだろう? 無理するな」と言ったら、同行Li氏が「彼は偉いから、領収書があれば落とせるんですよ」と言う。30歳そこそこの公務員で格別偉くもなさそうなのに、そんなことが許されるんだろうか? 例え僅かな金額だとしても、なんだか私が悪行を働いているような嫌な気分でした。どうもここの人は公私の別が曖昧という感じがします。この地方だけなのか国全体がそうなのかはまだ分かりませんが・・・。

TOP  前頁 NEXT