18. 授業周辺の諸問題  授業そのものは初級クラスの人数が多くて疲れる他は、まずまずの進行です。しかし、授業に付随する事柄で幾つか問題がありました。そのどれもは、個々に取り上げれば大した問題ではない。けれども並べて眺めると、私の置かれている状況が恰も地形を俯瞰するように見えて来るでしょうから、少し書いてみることにします。

 1)契約書
 私が働くべき期間、それに対する報酬、宿舎の電話料の負担、その他の諸条件については、一切が口頭の説明でした。給与が月1千元というのは鎌倉で聞いた話とは違う。しかしそれはそれとして、契約書を作らないというのは我々の慣行にもとる。それで、原案を作り、小Oを通じSさんに、このとおり契約を交わそうと申し込みました。勿論、給与は先方提示の1千元で。しかし、何の反応も無し。

 開講後暫くして、R氏が「先生の給料1500元に上げたよ」と、突然言って来ました。会議をやったらしい。これは帰国直前になって、恰もパズルが完成したように突然見えたことなのですが、このときに収支予想に基づいて各人(L、小X、小Z、S、小O)の給与を決めたようです。R氏はかねて「先生の1千元は安過ぎると思う。でもSさんがなかなか聞かないんだよね」と言っていました。それは本当でしょう。Sさんはよく「日本人は金持ち」と言っていた。でもこちらは内心、R氏は調子がいい奴だナ、と思っていた。つまり「口だけだ」と思っていたのです。ところが、本当に彼が5百元アップを強く主張したのだそう。ただし、この後に「先生これでビール飲めるね」というおねだりが付いていて、最初のアップ分の大半はビヤホールとカラオケで消えてしまいましたけれど。

 それは兎も角、この機会に再度契約をしようと小Oに督促した。小Oはもう一度Sさんに伝えますと答えた。ところがまたまたSさんに黙殺されました。帰国するまで、この件については何のリアクションも無し。私は初め、彼らには契約の概念が無いんだと推測していた。それに違いはないのだけれど、もう一つ、文革経験者は記録をすることに異常な警戒心を持つということがあります。詳しいことは、後の密告事件の項で触れます。

 2)宿題の用紙
 Sさんが、毎回生徒に宿題を出せと注文する。「故T先生は出しました」。それでテキスト各課毎の「問題」の筆記部分を宿題にすることにした。テキストに直接答を書かせると、チェックのためにテキストを提出させなければならない。それでは生徒は予習・復習ができない。コピーするしかない。そう言ったら、コピーしてはいけないと言う。じゃどうするの? ノートに書かせればいい。ノートなら安い。ということで、各人に1冊ずつノートを買い与え、それに問題も答も書かせて提出させることに決まった。

 お陰で私は滞在中、大変忙しかったですね。朝9時頃出勤。すぐ山と積まれたノートを点検する。コピーなら答の部分だけ見ればいい。ノートだと書いてある場所、字の大きさ、問題を書く者書かない者、みんな違う。中には判読できない字もある。最初のうちは午前中では終わらなかった。午後の2時3時までかかる。それから授業の準備にかかる。絵カードの取り揃え。フラッシュカードの作成。時には教材に使う実物(果物など)を買いに出る。だから、平日は殆ど遊んでいる暇なんてなかったです。しかし、次第に生徒が怠けるようになって宿題提出率が落ちるにつれ、適当に外出もできるようになりましたけれど。

 実物で思い出したことがあります。一度、小Xに蜜柑を買って来るように命じました。「ミカン」では分からない。そこで字と絵を書いて説明しました。彼は了解してすぐ出かけて行った。ところがなかなか帰って来ない。一体どうしたのだろうと心配になってきた頃、透明パック入りの小さな干し果物を持って帰って来た。蜜柑とは似ても似つかない代物です。彼は、随分探しましたと言う。周知のとおり温州蜜柑は中国伝来です。「蜜柑」という字と絵で通じると考えた私の誤りでした。中国では蜜柑は樹子(ジューズ)というのだそう。それ以後は、教材の調達は自分でするように改めました。しかしそれにしても、この小Xはカンの悪い子でした。蜜柑はその辺で幾らでも売っている。絵を描いて見せて「分かりました」と言ったのに。あのとき彼は何が分かったのだろうか。

 3)日本地図
 日本から大きい日本地図を持参した。これを教室に掲示したい。教室関係は小Oの担当と聞いていたので、彼にそう依頼した。ところが仲々実行しない。なぜ貼らないかと訊ねたら、「ここは役所の会議室ですから」と言う。暗に、日本地図の掲示は好ましくない。授業の都度、事務室から持って行けという口振り。ならば初めからそう言えばいいのに。

  O先生は話し好きで、暇があると仕事中の私の所へ話しに来る。話題は多岐にわたる。夢中になるとこちらの迷惑などお構いなしに話し込む。そしていつも「何か問題があったらすぐ言ってくれ」と言ってくれた。何回もそう言われましたが、それまで何か頼んだことはありませんでした。日本の組織ではボトムアップが一般的です。他系列の者が窓口を無視していきなり上の方に問題を持ち込むと、たいてい下の者が臍を曲げる。それが頭にあったから頼まなかったのです。しかし地図の掲示は授業に必要なので、自分に課したタブーを破って彼に何とかしてくれと直訴しました。彼は即座に小Oを呼び、すぐに掲示するよう命じました。小Oは発泡スチロールのパネルを買って来て地図を貼り付け、壁にぶら下げた。いとも簡単にできました。

 小Oが言を左右して実行しなかったのは、役所の他の部署から何か言われることを恐れたからでしょう。でもO先生の命令なら自分が矢面に立たずに済むわけです。それにしても、小Oは幾らか知らないがこのクラスから報酬を貰っている様子。なのに何もしない。更に、外事処とその顧問が日本語クラスを主催しているのは隠れもない事実なのに、小Oは今更何で他の部署に気兼ねするのか? その辺がこのクラスのわけの分からないところです。

 4)テレビ受像機
 せっかく日本からビデオが到着したのに、映してみたら色が満足に出ません。テレビが年寄りでもう気息奄々なんです。中国産かと思いきやシャープブランドでしたが、そんな映像でも生徒は食い入るように見つめています。初級のクラスで、変な譬えですが、涎を垂らしそうな顔をして見ている生徒もいました。視聴覚教材の威力は絶大。だから、ちゃんとしたテレビで見せてやりたい。それが人情というものでしょう。

 そこで、これもまた小Oに「テレビを買い替えてくれ」と頼みました。即座に、そんなことできませんと断られた。理由は地図の一件と同じ。役所の物だから勝手に買い替えはできないと。しょうがないから矛先をSさん、R氏に向け、機会ある度に訴え続けました。そのうちに会議を開いたらしい。初・中クラスとも2課くらい終わった頃、突然新しいテレビに変わりました。Sさんが市内の国営企業へ行って、5掛けくらいで買ってきたと言う。確かパンダブランドでした。生徒が喜んだことは言うまでもありません。

 同時にビデオカセットも新調した。これはR氏個人が買ったらしい。「赤字になるんじゃないの。大丈夫?」と聞いたら、「最初はしょうがないですよ。必要な物は買わなくちや」という答。それがきっかけで、このクラスの財政は彼が仕切っていると分かりました。おそらくテレビも、赤字になったら彼が被るつもりで買ったのでしょう。また、Sさんの反対を押し切って私の報酬を上げたのも、彼が「損したら私が被る」と言ったから実現したのに違いありません。

 事前の打ち合わせによってアシスタントとして小Xを付けてもらったのですが、彼はSさんの知り合いの息子でした。一方、小ZはR氏が雇ったのだそう。何のためかというと、金銭出納を管理させるために。R氏と相当親しくなってから、彼がそっと洩らしました。「奴等に任せたらみんな吸い上げられちゃうからね」。奴等というのは役人のことです。だから、小Zの会計簿に記録することなしには、一切金は出ないようにしてあるようでした。しかしここで面白いのは、この小Z。まだ20歳前の小娘なのにちゃんと役得を心得ている。一度文房具を買いに彼女を連れて出掛けたことがあります。歩いて15分程度の所なので、私は歩こうとした。そうしたら彼女は「先生タクシーで行きましょう」と言う。「エッ! 君はいつもタクシーに乗ってるの?」。「ハイ乗ってます」。帳簿上どう処理しているのかまでは確かめませんでしたが、この国ではこんな小娘でも抜け目のなさでは端倪すべからざるものがあります。R氏も人の扱いがうまい。役人に勝手にお金を触らせるなと命じる代わりに、この子のその程度の冗費は大目に見ていたのでしょう。

5)中途入学

  初級クラスに毎回新顔が入ってくる。名簿を見ると手書きで名前が追記されている。よく知られているように、中国人の金銭感覚は鋭敏です。何しろこのクラスの授業料は高い。平均的な1世帯の生活費の1.5か月分に相当します。自費ではなかなか払えない額。払えるとしても、それだけの値打ちがあるかどうか慎重にならざるを得ないでしょう。だから初め様子を見ていた連中が、ポツポツと入って来たようでした。

 平仮名、片仮名、特殊音、第1課が終わるくらいまでは、まぁいいと黙認していました。しかし、第2課に入ってもまだ入って来る。それでSさん、R氏に、もうこれ以上は入れないようにと申し入れた。最初30名の出席者がこの頃にはもう35名くらいになっていた。ところが申し入れたにも拘らず、3課4課でまだ入って来る。遂に37名に達した。とうとうたまりかねて会議を開催してくれと要求しました。

 O先生、S、小O、R、Lの5人が私のデスクの周囲に集合。O先生は「私は実務にはタッチしない。しかし責任者だから来ました」と一言、断りを言った。 私はなぜ中途入学を拒むかを、以下のように丁寧に説明した。人数が多くなるとクラス運営に支障を来す。例えば、向こうの隅の生徒の声が小さいとこちらの隅の生徒には聞こえない。また、なるべく全員に発話させたいが、大勢になればなるほどそれが困難になる。それに対してSさん、R氏は大らかに、「そのうち自然に減りますよ」と言う。

 それでは、と第二弾を放つ。フィリピンでの経験では、中途入学者はみんな最後までついて来られず脱落した。最初の仮名や発音の練習が非常に大切なのだ。だからここでも遅れて入った連中はおそらく脱落する。入るも止めるも本人の意志だとしても、結果として高い授業料を損することになる。それでは気の毒ではないか。途中からは入れない方が、かえって本人のためなのだ。

 これにはみんな無言であった。せっかく授業料が入ってくるんだから、何もそんなに固いことを言わなくても・・。彼らはそう思ったに違いない。更にもう一つ。授業運営については私に責任があり、そういう意味で私は主権者である。今後も断りなしに入学させるとか勝手なことをするなら、私はすぐ帰国する。私の方から頼んで来たわけではない。頼まれて、日中友好のために来たのだから。

  R
氏は、分かりましたと言う。Sさんはなぜか憮然として何も言わない。おそらく面白
くなかったのでしょう。この国で役人に、しかも共産党員にそんなこと言う人間は殆どいないのではないか。そう感じました。O先生が頃合いを見て「今日は議論を尽くせてよかった。これで本当に良好な関係ができたと思う」とまとめた。この会議以降、中途入学希望者があれば私に「どうだろうか?」言って来るようになりました。

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