2. 市 政 府

古い街並み 古い街はこんな風なんです。この方が風情があると思いませんか? (これは冬撮影したもの。夏は葉が鬱蒼としています)
 
 次はオフィスに案内するということで、外へ出ます。表通りは工事中で、未舗装の凸凹道。街路樹はありません。左右の家を見てビックリ。軒並み鉈でブチ切られたように、中空の腹を無惨にさらけ出しています。元の家並みを拡張に必要なだけ、並木もろとも切り取ったとのこと。断ち切られた家を見ていると「情け容赦なし」という感じがします。これが社会主義の一つの強みなんでしょうね。日本だったらこうはいかない。

 やがて道は完全舗装になり、歩道にもキチンと敷石が。そして左に市政府正門が現れました。市政府とはずいぶん重々しい名称ですね。見たところ鉄柵の中に、古ぼけた3〜4階建のビルがたかだか何棟か並んでいるだけの区画なのに。しかし、正門左右には拳銃を帯びた警官が立哨しています。そこを通過するのにO氏は通行証を提示し、私のことを「なんとか老師(ラオスー)と説明しました。黙っては通れないようです。 案内された建物は古ぼけたコンクリートの五階建て。「我々のオフィスは4階です」というO氏に続いて階段を上ります。私、思わず「エレベーターは?」と聞いちゃいました。O氏「中国ではエレベーターなんて贅沢なんです」。ハイ、ご尤も。

 階段踊り場の窓ガラスが所々割れています。壁に「請勿吐痰随地」とか「禁吸烟公共場所」と標語が。勿論簡体字ですが、これくらいは私にも分かります。あなたは分かりますか? これが中国で最初に見た標語。このあと至る所で標語を見ることになります。

 オフィスに入ると、壮年の日本人が一人いて、O氏に紹介されました。G県のI氏。いただいた名刺によれば麺機製造会社の社長さん。更にL氏という若い中国人にも。こちらの名刺には「J市○○科技開発有限責任公司・董事長/総経理」とあります。「私は日本に4年間いて、つい最近帰国したばかりなんです」と流暢な日本語で自己紹介されました。日本ではI氏の会社に勤めていたとか。どうしてここにG県の人がいるのか。事情を聞く間もなく「主任に紹介します」と声がかかり、2階の会議室へ移動。

 主任・O・T氏。背が低くがっちりした体躯。副主任・O・K氏。背が高く髪が薄い。会議室といいながら机はありません。椅子が壁際に並んでいます。これが中国スタイルなんですね。まさか机を置くと Under table momeyが・・・なんて発想じゃないでしょうが。

 上座中央に主任。その左右にI氏と私が座らせられ、主任が歓迎の辞と中日友好推進の必要性、I氏と私にご尽力を願うと挨拶をしました。やや下座に座ったL氏が通訳します。日本人側にお鉢が回りました。I氏は私を除く同席全員と顔馴染のようで、時折冗談を交えて笑わせながら、「L君をしっかり仕込んで帰したから益々J市は発展します」というような話をしました。私はみんなとは初対面だし、当地について何の予備知識もありませんから、型どおり「一所懸命やります」と言っておしまい。再びオフィスに戻り、他のスタッフ四〜五人に紹介され、続いて市政府主催の歓迎宴。場所はさほど遠くないということで、中国名物自転車の洪水に逆らって歩きます。丁度退勤時間帯にぶつかったんですね。

 レストランでは先程お互いに挨拶したばかりですから今度は挨拶抜き。主任の音頭で乾杯。私は四〜五皿に一箸つけたくらいのところで早くも満腹です。しかしそんなことお構いなしに、後から後から料理が出て来ます。主任がしきりに「どうぞ」と勧めてくれるのでお義理で箸はつけるものの、そうそう入るものではありません。勧められるのが苦痛。話に聞く乾杯の応酬がなかったから助かりました。それがあったらもう、接待なんてものじゃない。拷問です。

 それにしても何でこんなに沢山料理を出すのか。列席の中国人だって、宴半ばには箸を出さなくなりました。結果として皿は殆ど手付かずのまま下げられる。後日、O・K副主任と腹蔵なく話せるようになったとき、私の「無駄では?」という指摘に対し、彼は「あれは中国人の見栄なんです」と苦渋の表情で認めました。悪しき習慣と承知していながら、なかなか改められないものなんですね。社会主義革命が昔からの人の気質や習慣をすべて変えたかというと、必ずしもそうではないようです。

 かくしてJ市の一日目は終わりました。

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