23. J市周辺の観光 若い修行僧 隆昌寺の修行僧たち。

 1)隆昌寺・茅山
 7日(水)。O先生の案内で、近郊の名刹隆昌寺と道教寺院の茅山観光へ。車は10人乗りのバン。山の方へ入るのだから道は悪いだろうと想像していましたが、案外そうでもない。土地土地の幹線と覚しき道は余り広くはないけれども、ほぼ舗装されています。走るにつれ水田が減り、畑地に変わる。一つ気が付いたのは、煉瓦工場が多いこと。日本ではコンクリートブロックを多用します。中国の他の地方は知りませんが、この辺では建物にも塀にも煉瓦を多用します。それに適した土が豊富なのでしょう。土を掘るのはまあいいとして、煉瓦製造には薪が必要。それでなくても樹木相が貧弱なのに・・と他国のことながら気になりました。今は薪ではなく、石炭を使っているのかもしれません。しかしそれだと環境に害があります。日本にも酸性雨を降らせる。何とかしてもらいたいものです。

  隆昌寺の入口に到着。ちょっとした山の麓です。周囲の景観をぶちこわすケバケバしい原色の看板に「森林公園・律宗第一名山隆昌寺」と書いてあります。入場料15元と引き替えに渡された券には「ここから先、一木一草たりとも損なうべからず」というような注意書きがある。せめてここだけでも自然を守ろうということなのか。そこから車で10分以上も上りました。道は灌木の中に細々と付いている。対向車が来たらすれ違えません。伽藍は山の頂上脇の窪地一杯に広がっていました。「第一名山」と称するだけあってさすがに寺域は広い。上から見ると支那瓦の甍が波を打って連なっています。ここは修業道場であると同時に年に1回、僧の試験を行う寺だとのこと。そのせいかどうか、ちょっと他のお寺とは趣が違います。本堂に原色の仏像がありません。代わりに白大理石の演台のようなものがあります。台上には問題を与える高僧が座り、台下の回廊に試験を受ける僧が並ぶのだとか。その日は近隣の僧が全部ここに集まるのだそう。本堂前の広場に入り切らないほどだ、とO先生は力説します。そして参加の僧全員に食事が振る舞われる。後で厨房に連れて行かれ、「ほれこのとおり」と巨大な釜を見せられました。三つもありました。軍隊の烹炊所のようでした。山の中だから観光客は来ないのでしょう。建物は古びていて、一部崩落したとかで、その修理費の寄進を求められました。

 しかし、いくら修行道場だといっても、ちょっと何も無さ過ぎる。仏像、画像、石碑の類が殆ど無いのです。文革の際、紅衛兵に徹底的に破壊されたのではないか。O先生にそう質問しましたら、「当時は軍隊を出して破壊から守りました」という答え。でも多分、軍隊の出動が遅かったのではないかと、これは私の想像です。

 茅(まお)山は隆昌寺から更にずっと奥地です。土地不案内だからどこをどう走っているのか見当もつきません。1時間も走ったかな。行く手にピョコンと一つ独立峰が見え、それが茅山でした。峰といっても精々下からの標高差100米くらいです。山頂まで道路はきちんと舗装されています。頂上には道教の道灌と宿房に土産物屋がぎっちり詰まっていて、端の方はこぼれ落ちそうです。道教は現世利益を説く宗派だから観光客が多いと見えます。

 頂上からの見晴らしはとてもいい。360度視界を遮るものは何もない。「ここに泊りたいですね」と言ったらO先生、「外国人は泊まれません」と言う。何故かと問いただしたところ、「安全を保証できませんから」と言う。そんなに治安が悪いのだろうか。体面を気にする中国にしては随分率直な物言いです。しかし皮肉な見方をすると、お役人は老百姓を信頼しなさ過ぎるのではないか。そもそも元をただせば、昔はその老百姓と共に銃を取り国民党軍や日本軍と戦ったのじゃありませんか。それが政権を握り統治者になった途端、昔の仲間が信頼できないって言うんじゃ義理も人情もない話。それじゃこの世は真っ暗闇じゃござんせんか?  そんな気がしましたけれど、今日は私達はお客さんですから、遠慮して口には出しませんでした。

 下界は緑一色。いかにも豊かに見える。肥沃な土地ですねと言ったら、Sさんが「この地方では一番貧しい地域なんですよ」と、どこを見ているか・・というような顔で言いました。横からO先生が「この辺は新四軍と日本軍が追っかけっこをしたところですから・・」と言う。つまりは、元々貧乏な土地ということなんでしょう。新四軍というのは八路軍と並ぶ抗日戦時代の共産党軍の名称です。山の南側にロープウエイがあります。その辺りは隣のZ市であるとか。ということは、ここはJ市の一番端っこ。なるほど、中国の市というのは広いんだと納得がいきました。
TOP  前頁 NEXT