26.  再び上海へ  10月14日。帰国する家内を送るため上海へ移動。飛行機は翌15日なのですが午前9時発なので、当日J市から出るのでは間に合わないのです。授業は、L氏が土曜日にやる文法の時間と振替。J市汽車站からSさん、小O、Lなどの見送りを受けて出発。どういうわけか、ここの人たちはこういうところは丁重です。

 上海ではSさんの定宿新城飯店に泊りました。確か別名メトロポールホテル。外灘に近い江西北路と福州路の交差する所。戦前からのクラシックホテルです。周囲は古いビルばかり。250元と安かったから部屋は薄暗かった。なお、福州路というのは今は文具店などが多い通りですが、戦前は遊郭などがある歓楽街だったそうです。ディックミネ歌う「夢の四馬路か虹口の街か」の四馬路がそれです。なぜ四馬路と言うのか。今の人民公園は昔、共同租界の競馬場だった。そこへ馬を引く道が一馬路、二馬路、三馬路・・・とあったということらしい。

 豫園に行きました。上海なら誰に聞いてもまず豫園、次に玉仏寺かな?と言う。上海は案外見る所がないのだそうです。予想どおり、豫園は人で一杯で、つまらない所でした。ここのどこがいいのだろ?  早々に引き上げ、ガイドブックに「ファッショナブルな街で若者に人気」とある淮海路へ。確かこの辺は昔はフランス租界。所々に古い建物が残っていて、風情がある街並みです。デパートは商品の質も展示も、店員の接客態度も日本並み。J市とは大違い。上海は戦前から中国一の国際都市だった。そういう意味で他の地方とは「土壌」が違うということか、或は外国文化に対するアレルギーが少ないということか。

 そういう気風・風土に関連して、中国にはこういう俗説があるそうです。北京愛国、上海出国、広州亡国。この説が的を射たものかどうかを論ずるほどの知識は私にはありません。ただ一つ言わしてもらえるなら、出国熱において上海だけが特に突出しているとは思えません。仮に全中国から無作為に100人の青壮年男女を抽出し、全員に出国の自由と旅費を与えたとします。まず一人として出国を拒む者はいないと思います。たとえ連れ合い或は家族と生き別れになろうとも、間違いなく出国を選択するでしょう。それほど中国人は外国に憧れています。にも関わらず、特別に「上海出国」と言われるのはなぜか。ここは過去の歴史から、外国(人)とのコネや情報が豊富です。勢い、他の地方よりも出国のチャンスが多いのではないでしょうか。だから、羨望も込めてそう言われている。そういう気がします。

 なお、ついでに言いますと、北京人と上海人は仲が悪い。お互いに悪口を言い合います。北京人は「上海人は金亡者だ。国家のことを考えない」。上海人は「北京人は偉そうなことばかり言う。奴らは本当は田舎ものなんだ」と。

 夜は復旦大学の小卉を呼び出して上海老酒店へ。ここはガイドブックに丸々1ページ、それも写真付きの紹介が載っていて、それを見た家内が行きたがったのです。国家1級厨師が何人もいるとか何とか、いろいろ良さそうに書いてあります。場所は昼間行った豫園の近くで、結果はどうかと言うと、高いだけでそんなにおいしくはなかったですね。J市に帰ってL氏にその話をしたら、「ガイドブックはお金貰って書く。おいしい筈がない。土地の人が行く所がおいしいんですよ」と言う。それはそのとおり。でもそれが予め分かっていないからガイドブックに頼るわけです。どうもこのLという男は、木で鼻を括ったようなことばかり言う奴でした。

 新城飯店のチェックアウトにも苦労しました。朝、チェックアウトする客が何組もいるのに、係が僅かに二人しかいない。客が何人待っていようが、どんなにイライラしていようが我関せず。この国では何でも早め早めにしておかないと、後で後悔することになる公算大ですよ。システムがお客本位になっていないのです。
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