27.授業の色々-1  1)初級 初級は9月末で通訳なしにしました。たまに「先生分かりません」と言われる。だいたい言うのは顧さんです。何が分からないか。私の日本語が早口で分からないということ。そういう場合はゆっくり言い直すか、或は黒板に日本語なり中国語なりを書いて説明する。そうすれば大体は分かる。

 念のために言うと、顧さんだけが分からないのではありません。顧さんが分からないなら他の連中もたぶん分からない筈。でも他の連中は「分かりません」とハッキリ言えないのです。

 顧さんはなぜそれが言えるのか。彼女はSさんを除けば初級クラスでただ一人の訪日経験者。僅か1週間かそこらの日程だったそうですが、歯科医の学会か何かで東京歯科大を訪問した。日本語が分からず質問もできなくて非常に残念だった・・・というのがこのクラス参加の動機です。だから熱心ということもあるのだけれど、もう一つ、僅か1週間でも日本の空気を吸って来ただけで発話能力が違う。日本にいる間に「分かりません」を覚えたのではないのかな。スラリとごく自然に言えるのです。

 この顧さんには歯の治療でお世話になりました。まだ開講して間がない頃、奥の歯茎が腫れた。Sさんを通して治療を依頼。大きい医院でしたね。1階が受付と診療室、2〜3階が入院患者の病室。診療室は3室あり、一番奥の特別室に通された。歯茎の腫れは単なる疲労のせいで、治療といっても薬を塗るだけ。男の医師を呼んで来て、私の口を開けさせたままいろいろ相談する。結果は他にも悪い個所があるという宣告で、その治療に数回通うことに。その男の医師が英語でそれを説明する。彼がいないときは大変でした。「この薬は日本製です」とか、「これはアメリカの薬ですが箱に何と書いてありますか」などという質問をしたいらしい。しかし、それが日本語で満足に言えない。そこで、治療そっちのけで筆談が始まる。何とか日本語をマスターしてまた日本に行きたい。そういう意欲に満ち満ちている人でした。

 この医院に通って、強く印象に残ったことが二つあります。一つは、中国でも歯の治療費は高いということ。最初の日100元払いました。無保険だから仕方がない。2回目以降はどういう訳か、タダにしてくれました。おそらく先生からは取れないと考えたのでしょう。当時は手取り300元の報酬。どうなることかと心配でしたので、「ウーン」と首を捻った後、「治療費は結構です」と言われたときは正直ホッとしました。次は、医療器具の質の悪さ。治療台は患者が横になり、医師は椅子に座る最新型でした。ところがこれが乗っかるとグラグラする。「うがい」をしてと言われても、水盤の位置が高すぎてそれが不可能。本来は電動でせり上がる筈ですよね。これは手で背もたれを立てる式で、それも壊れていた。だから一々起き上がらなくてはならない。腹筋が弱い年寄りだったら起き上がれません。要するに格好ばかりで、まるで役に立たないのです。銘板を探しても見当たらずどこの製品かは分かりませんでしたけれど、日本製でないことだけは確か。顧さんは日本の歯科の水準は世界一と何回も言っていました。初めはお世辞と思っていましたが、この椅子に座ってからは、それが本心からの賛辞だと素直に受け取れた。中国には玉の細工物とか絹の刺繍とか、緻密精巧さで私達を驚嘆させるものがあります。そういう物を作る能力があるのに、どうして一般の器具機械類の出来がこうも悪いのか。その問題についてはまた後で触れます。

 1か月たったところで、生徒にスピーチをさせることに。Sさんが「故T先生は授業前に生徒に話させました」と言い出したのです。Sさんはクラスの運営によく口を出す。早い話が小姑ですね。でもいいことは誰が言ってもいい。だから私も見習うことにしました。ただSさんが言い出したのは開講後2週間くらいの時だったから少し早過ぎる。生徒にそれだけの能力が備わっていない。1か月経過してから開始しました。

 それについて面白いことが。スピーチは名簿順に2〜3名ずつ当てていきます。次の授業で話しなさいと命じるのです。ある日急に思いついて、私語が多い男性生徒に当てた。まぁ懲罰的な意味合いもありました。ホテルの欒(ルァン)、トラック運転手の孫、無職の蔡。そうしたら3人とも次の授業に出て来ない。Yの情報では、欒が「ご馳走するから話し方を教えてくれ」と電話して来たとのこと。その次の授業。定時に開始すると、入口に近い生徒が外を指して何か言う。出てみたら、ビルの入口に3人が固まってしゃがんでいる。大の男が怖くて教室に入れないのです。これには笑ってしまいましたね。他の生徒も大笑い。

  欒はホテルのマネージャーで35歳。社長に命じられて参加したらしい。だから本人には積極的な学習意欲がない。仲々の男前でしたから、「ハンサムです」の練習に「欒さんはハンサムです」とか、一度欠席の理由に麻雀で忙しかったと釈明したことがあったので「欒さんは忙しいです」→「麻雀で忙しいです」などと使わせてもらいました。その度にみんな大喜びで、笑いながら唱和(コーラス)する。彼自身も冗談をよく言うので生徒に人気があり、そのせいか日本語の方はサッパリ上達しないのに、最後までクラスに出席していました。尤も社長の手前、嫌でも途中で止める訳にはいかなかったのでしょう。

 孫は31歳。毎日トラックで南京へ自動車部品を運ぶ仕事をしている。参加の動機は、これは後日R氏に聞いて分かったことですが就労目的。しかも第一次斡旋候補だとのこと。Sさんのコネだとか。出席率は良かった。でも出来は今一つ。

  蔡は23歳。細くて長身。いつもホテルの袁さんの横に座り、当てられると袁さんに一々教えてもらって、蚊の鳴くような声で読んだり答えたり。名簿では大学卒。でも出来から言うと俄かに信じ難い。必ず袁さんの横にくっつくから一度、袁さんと婚約しているのか?と訊ねてみたら、違うという。参加の動機はおそらく就学か就労だったのでしょうけれど、そのうちにパタッと来なくなった。典型的な金持ちのダメ息子という感じの男でした。

 1か月で、生徒の優劣がよりハッキリしてきました。小卉が「姉は頭が悪い」と言ったYが断然他を圧してできる。次が幼稚園副園長の柯、医学院看護婦の何、歯医者の顧。その次くらいにホテルの袁。女性ばかりです。男ではせいぜい中学教師の宋、会社員の仲、発電所の賈くらい。この仲という生徒は中途で日本へ行ってしまいましたが、面白い男でしたね。体格がよくて物言いがゆったりしている。文型をみんなで読む。この男だけが必ず一呼吸から二呼吸遅れるんです。みんなが「・・・です」と読み終わったとき、「リーサーンーデース」(仲)となる。極めて間延びした口調なので、みんながドッと笑うのです。

 今ここでいう出来不出来の基準は一応、聴き取り、発話、読み、書きの四能力。男は筆記だけはよくします。みんな万年筆を使う。なぜ万年筆なのか理由は分かりません。

 Yは非常に勘がよい女性でした。4班に分けて数字の聴き取り競争をしたことがあります。例えば14とか25とかの数字を小さい紙にそれぞれ4枚ずつ書く。各人に1枚ずつ渡るようにして各班に配る。テープで数字を言う。それは各班に必ず1枚あります。該当数字の紙を持っている生徒が教壇までそれを持って来る。早い者が勝ちという競争。Yは同じ班の者が分からないと、立って見て回り、他人のものまで引ったくって走って来る。そこまでならまだしも、しまいには聴き取れない生徒を「バカ!」と罵倒する。耳も口も、更には運動能力までも他に抜きん出ている代わり、そういう欠点がある人でした。離婚の原因はその辺に関係ありそうだな・・と私、想像していました。

 2か月目に入って、R氏の提案で生徒からアンケートを取った。最も気になる教え方の項では、「不好」が1名だけ。残り全員が「ヘンハオ」だったのが嬉しかったです。

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