3. 説明会-1 説明会場 日本語教室説明会。このあとこの席がほぼ80%埋まりました。

 8月26日午後1時、説明会場科技大厦へ。大厦(ターシャ)はビルのこと。

 私がJ市に赴任することになった経緯を簡単に説明しておきます。NHKに日本語セミナーというところがあって、そこで日本語教師養成講座と日本語教育能力検定試験対策講座をやっている。その講座の主任講師をなさっているのがS先生。日本語教育界では著名な方です。フィリピンから帰ってボンヤリしているところへこのS先生から声が掛かった。「今度は中国へ行ってみませんか」と。何でも前にJ市へ教えに行っておられた方がこのNHK日本語教師養成講座の出身者だった縁で、J市から求人があったらしい。で、その方Tさんはどうされたのかと言うと、病気で急死されたのだそう。私は別のところでS先生の知己を得た人間で、このNHK日本語セミナーには全く無関係。なのに何で私に声が掛かったか。NHKの講座出身者に声を掛けたが応募者が皆無なので・・・ということ。詳しいことはJ市から人が来るから、その人から直接聞いてくれという話でした。

  J市から来た人が上海虹橋空港へ私を迎えに来てくれたSさん。女性です。鎌倉で会いました。何で鎌倉か。亡くなったTさんは鎌倉の人。湘南国際交流会のメンバーで、この会から派遣される形で中国へ行った。Tさんが亡くなり、J市ではTさんの遺徳を偲んで顕彰碑を建てた。その際この交流会の主要メンバーがJ市まで出掛けて行った。それでSさんと知り合った。今回Sさんが来日するについて交流会の方へ鎌倉に寄りたいと連絡があったらしい。そこで交流会として歓迎会を開催した。私はその会場で面接を受けたのです。

 NHK講座出身者に応募者は一人もいないという話でしたが、歓迎会には一人面接受けに見えていました。私は学生時代から中国には関心が深かった。当然、行ってみたいという気持ちはある。でも、フィリピンでは相手がそれはそれはいい加減でひどい目に会った。だから外国行きには慎重にならざるを得ない。鎌倉で聞いたJ市の条件は報酬月額1500元。住宅先方持ち。渡航費の支給無し。良い条件とは言えない。だから積極的に行きたかったわけではない。しかしSさんが帰国後、「経験者だから」という理由で私に来てくれと連絡が。期間一年ということでしたが、NHKの方では行きたいと応募して選に洩れた人に配慮して、私に「半年で交代して」と言う。私も「そうしましょう」と快諾。中国には親の世代がひどいことをしている。半分贖罪のつもりで出掛けることにしたのです。

 話は説明会に戻ります。鎌倉で「教える対象者は市の人か?」と質問したら、「然り」ということでした。それなら説明会なんて不要ではないかと思う。私の「市の人」の意味は「市の職員」ということ。それがそうではなかったのですね。科技大厦会場に入ると、正面に赤地に白く「第三届日語口語培訓班説明会」の横幕。会場一杯に椅子の列。優に200人は入りそうです。すぐL氏に一人の中国人を紹介された。R氏。年の頃は40歳くらいか。出された名刺には○○茶苑有限公司社長とある。「遠い所からようこそいらっしゃいました」と流暢な日本語の挨拶。「うまいですね」。「えー。私、日本に8年いました。半分日本人です」。ニコニコと頗る愛想がいい。この男何者なりや。 「まだその名刺を作ってないんですが私、今度こういうことをすることになって、J市から顧問という肩書を貰いましてね。今度のクラスの20%は日本へ送りたいんですよね」と言う。「今度こういうことを・・・って何ですか?」。「えー。私、前から学校をやりたかったんです。教えるの好きなんです。日本でも中国語教えたりしていました。でも中国ではそれが難しくて・・」。茶宛の店主と学校が結びつかない。どういうことなのか。しかし質問する間もなく、彼は誰かに呼ばれて向こうへ行ってしまった。

 Sさん、L氏、私、OK副主任、I氏、R氏の順で演壇上に座る。OT主任は来ていない。OT主任は全体の長。OK副主任は外事処を担当している関係で、この日本語クラスの最終責任者になる。彼は他にも経済特区と農村を担当していると、これはL氏の説明である。つまりOT主任は、日本語クラスには直接関係しないということである。それにしてもO氏が3人もいて話がややこしい。更にOK副主任については、肩書きは副主任でも、呼びかける時は儀礼上「主任」と呼ぶのが中国の習慣だと言う。これから先、気を遣うことになりそうです。 
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