33. 郷鎮企業  <市の下の市> 11月21(土)。Y市へ日帰りトリップ。中国の農村をお見せしますというO先生の招待です。同行はTo、Kの両先生。留学生のM君。通訳はR氏と小O。Y市というのは、揚子江川下の大きな中州です。

 我々日本人は市と聞くと都市、市街地をイメージします。しかし前にも触れましたが、中国では市は日本の県に当たります。だから広い。1時間以上車に揺られ、揚子江を鉄橋で渡って着いた所は、樹木や畑の緑豊かな田園地帯でした。ここはつい最近まで○市Y県だったのだそう。それが市に昇格した。すると○市と同格になったのか。そうではないらしい。北京、上海、天津は中央政府の直轄市だから別格。その他の市には級があるのだそうです。いずれにせよ、市の中にまた市があるということ。外国人には分かり難いですね。

 橋を渡ってからも畑、灌木の林、工場、住宅などの間をかなり走り、新築間もない病院に着きました。長身で恰幅のいい病院長の案内で院内を一巡。どこもかしこもピカピカしています。屋上から周囲を見渡すと、あちこちに大きい工場がある。ここは郷鎮企業成功例のモデル地域なのだそうです。一戸当たりの年収が全国か省内かの第一位だという触れ込み。 

 冷蔵庫のように寒い会議室で病院長と懇談。私が風土病はあるかと質問。吸血虫病があるとのこと。ああ、それは最近まで日本にもあった。ツツガ虫が病原の日本住吸血虫病。そう言ったら陪席していた中国側の誰かが「日本軍が持ち込んだ」と言った。すかさず、O先生に随行して来ていた科学管理処長のZ氏が「日本人が発見したんだ」と訂正した。幸い正しい知識を持つ人がいたからいいようなものの、もしそういう人が居なければ、忽ち「悪者は日本人」ということになっちゃったに違いない。我々は過去の中国に対する仕打ちについて既に十分に反省している。にもかかわらず、未だに日本叩きの風潮が衰えないのは困ったものです。

 再び車に乗って市の中心部と覚しき地域へ。建物は新しい。整然と並んでいる。でもそれはホンの僅かな区画。少し行くとすぐ周りはまた畑や林になる。そこのレストランで豪華な中華料理の昼餐。病院長が支払いをしました。O先生は当然のような顔をしている。これは官々接待ですね。

 次いでO先生は農家を見せると言う。連れて行かれた所は整然と二階建て住宅が並んだ分譲地。日本の分譲地によく似ています。O先生はその中の1軒にツカツカと入って行く。中にはおばあさんが一人居ましたが、何も言わない。平然としている。こういう外来者にはもう慣れっこになっているようでした。外からは平凡な家に見えましたが、内装は金がかかっている。ソファも壁掛けもシャンデリアも高価そうな物ばかり。床は大理石。これが農家なの?

 続いてもう1軒。車で移動して行った一角には、3〜4階建ての建物が並んでいる。またO先生はそのうちの1軒にドンドン入って行く。ここは農家が経営するホテルだという。内部は階段の手すりから何から金ピカ。金にあかせて作ったと一目瞭然です。家人にお客は?と聞いたら、今日はいないそう。たぶんホテル業は暇つぶしにやっているんでしょう。

 表に出た。対面のフランス風の邸宅は、外国人駐在員用の貸家だそうな。O先生は終始自慢気です。彼の心中を察するに、中国の農村は貧乏な所ばかりではない・・・と言いたいのですね。しかし、これは誘致した企業に土地を提供して得たいわば不労所得の結実です。分かりやすく言えば、都市近郊の地主がアパートを建てたり、パチンコ屋やスーパーに土地を貸して、その家賃・地代で食っているということ。これはかつて共産党が敵視したブルジョアの生き方そのものではないか。革命中は人民裁判とやらで地主を吊るし上げ、銃殺したりもしている。その地主をかつての農民がやっているわけです。イデオロギーを放棄したらついで建国の精神も何も放り出しちゃって、それで何とも思わないのか。他人事ながら嘆かわしくてなりませんでした。

 でももし私がそれを言えば、「精神で飯は食えない」と反論されるかも知れない。手段はどうでも、兎に角豊かになれればいい。改革開放ということは、つまりはそういうことなのだ。

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