35. 文革の後遺症  「文革で何人死んだか知ってるか?」が政治的な発言になるの? 納得がいかない。そこまで神経質な理由は何なのか? R氏に言わせると、保身なんだと。O先生はそろそろ定年。定年前に問題を起こして左遷されたくない。円満無事に退職したいんですよ。    

 (私)それっぽっちの発言が問題になるのかね?
 (R氏)いゃあ、先生。党の内部は足の引っ張り合いですよ。それは凄いん
   だから。だからピリピリしているんですよ。  

 ここから彼の父親の話になった。父親は市政府に勤めていた。文革の前段階。毛沢東が百花斉放を唱え、自分の意に染まぬ分子を焙り出そうとしたときだ。仲間がいろいろ意見を言う。お前はどう思うか?と聞かれて、賛成だと答えた。そうしたら意見書に署名をしろと言われ、言われる侭に署名した。やがて文革が始まり、父親は右派分子として追放され、職を失った。以来一家5人、食うや食わずの生活が続いた。今でも父親は酒が入ると「あのとき署名をしなければ・・」と愚痴を言う。共産党を口を極めて罵倒する。それをいやというほど聞かされて育ったから、私も共産党が嫌いなのです。貧乏の中で苦労して努力して日本語を覚え、日本へ行って、私は自由な日本が好きになりました。もしまた文革が起きたら家族と一緒にすぐ日本へ逃げられるよう、いつもパスポートを用意してあります。

 彼の説明を聞いてもなお、納得がいかない。外事処は外国人を招請する部署です。招請すると同時に、その外国人の動静を監視する責任があるのでしょう。それにしても針でつついたような小さな事なのに、ばかに大袈裟に騒ぐではないか。このときからそれが何故なのか、ずっと頭から離れませんでした。得た結論は二つ。

 一つは、O先生もSさんも忠実な共産党員だということ。この国では10年前まで外国人には尾行が付き、電話も盗聴されていたという。10年前どころかたった2年か3年前のこと、故T先生が当地に赴任した直後、外出から帰ったら部屋の中を誰かがかき回した形跡があったそうです。湘南国際交流会のメンバーから聞きました。要するに、外国人は基本的に「バイ菌」というとらえ方です。外国の誤った思想を広めさせてはならない。党中央こそが唯一の正しい思想と情報の提供者である。O先生もSさんもそう信じ込み、党員として忠実に行動している。

 もう一つは、共産党の監視システムです。初級クラスにはSさんが出席していた。習った日本語を忘れたからもう一度勉強すると言っていたが、あれは監視のためでは?  中級クラスは小Oの担当だったけれど、彼はサボり勝ちでした。その代役を公務員の張にさせていたのではないか。初級では、42歳の幼稚園園長も監視役だったに違いない。長がつく地位には党員でないとなれないのだそうです。それに幼稚園といえども、レッキとした市政府の機関なのです。私はそういうことにはおよそ無頓着でした。しっかり見張られていたのですね。宿の方は大家さんが来客を見張っていて、Sさんに情報を伝えていた筈です。

 こんな風だとすると、考えてみれば共産党員自身も見張られているわけだ。R氏も「O先生はピリピリしている」と言っていた。「SさんはO先生のポストを狙っている」とも言っていた。尤もこの日本語クラスに何かあった場合はSさんも同罪だから、この件でO先生の足を引っ張ることはできないけれど、他のことだったらやるのかもしれない。この国の役所には[木当]案局という部署があります。私一度その倉庫を覗いたことがある。床から天井まである棚にギッシリ、[木当]案が詰まっていました。[木当]案って何か。個人の身上調査書です。ここに不利なことを記録されたら、この国では一生浮かび上がれない。それが怖いから、他人に足を引っ張られないよう神経質になるんですね。

 そうすると、Sさんが契約書を書かないというのは多分、後々何かの証拠にされないようにとの用心に違いない。内容はSさん、大家さん、私の三者合意に基づくものなんだから、公明正大に文書にしたって何も差し支えない筈。こちらはそう考えるけれど、Sさんそうは考えない。家賃1500元、食費7百元は当地の相場を遥かに上回っている。生徒のYが「絶対おかしい」と言っていた。あれは暗に、大家さんからO先生とSさんにリベートが戻っている、と示唆したのでしょう。おそらくO先生にしろSさんにしろ、交渉の段階で「家賃・食費を高くしてそこからリベートをくれ」とは口に出して言ってはいないと思う。大家さんの方で以心伝心、気を利かして相場より高くした。その辺は中国の習慣、阿吽の呼吸なのではないのかな。

  また、後にR氏がそっと洩らしたこと。Sさんと小Oは授業料収入から毎月各4百元取っているとか。それも全く証拠が残らないようにして。 どういうやり方で? 文房具代とかコピー代とかいろいろ名目を立てて・・。  小Oの野郎、私にはコピーは困ると言っときながら・・。けしからん! 彼らが金を要求する権利はあるの?  クラスの仕事をしているから、と言っている。 何もしてないジャン。 自分たちの取り分を多くしたいから、先生の給料値上げのときも彼らは反対した。  権利があると言うなら堂々と取ればいいのに、何故コソコソやるんだろう。  どちらにせよ、契約書を作ればこの事業の収支を解明する手がかりになる。今は何事もないが、いつ世の中が引っ繰り返るか分からない。証拠になるものは絶対に残さない。それが文革から学んだ教訓、彼らの処世術なのでしょう。

 
R氏から私に注意があった翌日の授業で、Sさんが「終業後生徒に話をしたいから先
生先に帰って下さい」と言う。翌々日は小Oが珍しく出席して同じことを言う。「何話すの?」。「いえ、勉強態度とかそういうことです」。どのみち中国語は分からないから言われる侭に先に帰った。 この密告以来、私はかなり意欲が減退しました。中級は特に気分が悪かった。張だろうと思うものの証拠はありません。あいつか?こいつか?と疑心暗鬼になります。これで授業が楽しい筈がない。密告者は誰だったか先に言ってしまいます。やはり張でした。帰国直前、ある生徒が教えてくれました。張が小Oに告げ口したらしい。小OがそれをO先生に報告した。O先生がすぐ会議を召集した。そしてR氏に・・・ということだったのです。

 Sさんと小Oが授業の後で生徒を残して言い渡したことは、個人的に先生と交流するな。政治の話はするな。もししたらすぐ報告せよ、などなど。今回は授業後だったのでちょっと異常な感じがしましたが、今までも月に1回程度、授業前にSさんと小Oが何か訓示をしていた。あれはそういう内容だったのだということが、最後になって分かりました。最初のうち宿によく遊びに来ていた生徒が、途中から来なくなった理由もこれでハッキリ分かった。

 Li氏のことは前に書きました。市政府の役人で、日本語の私塾をやっている人です。この人は時々クラスを見学に来たり、所用のついでによく私の事務室に寄ってくれました。密告事件の後、彼が事務室を訪ねて来た折周囲に人がいなかったので、こういうことがあったと一部始終を彼に告げました。彼は密告と聞いても格別驚いた様子は見せませんでした。中国人にとっては、そんなの別にどうということはないのでしょう。それで、生徒たちが自国の歴史について無知であるのは何故かと聞いてみました。彼の説明によれば上級学校受験の際、歴史・地理は選択科目なので、授業でも重視されない。代わりに政治が必修科目で、その成績は重視される。従って、授業でも力を入れるということでした。

 日本の学校のように世界史、東洋史などをそれぞれ一科目としては教えないらしい。中国史は抗日戦に焦点を当てて教えているのではないか。何故かというと、中級の生徒は国民党や蒋介石のことをよく知らなかった。そのうえ、国民党に勝利して建国に至った筈なのに、抗日戦勝利イコール建国という風に教えこんでいる節があります。「みんな自分の国の歴史を知らないね」と言った時、「日本は南京事件を教えていないではないか」と言った生徒がいた。今の政府はそういうことを盛んに宣伝しています。彼らの言う歴史は彼らの側だけから見た歴史であって、客観的なものではない。そして民衆の間に常に反日感情を温め育てて、時に応じてそれを政治的に利用しているのです。それは、不満を外に逸らすために統治者が用いる古典的な手法なのです。

 「これからは前を向いて行かなければならない」と故毛主席と故周首相は言った。そして日中国交回復に至ったのです。今の状態はその歴史に逆行している。そう思えてなりません。

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