39. 審査員と後任  他にも問題がありました。故T先生のときは、鎌倉から湘南国際交流会の有志の方々が遥々来Jし、審査員を勤めて下さったとのこと。今回もそれをお願いしたいとSさんが言う。

 それは無理ですよ。何故かと言うと、私はよくは存じ上げないが、稲村ケ崎・メイン(レストラン)での会員諸氏のお話によれば、故T先生は交流会の運営委員。中心的な会員でした。私はJ市に行くと決まってから交流会に入れていただいた新参者。拙宅はたまたま鎌倉の殆ど隣と言ってもいいほどの近くです。ですから会員になること自体は不自然ではない。けれども、多くの会員は私のことなど全くご存じない。そんな会員の為に大金はたいてわざわざここまでお出でになるわけがない。私がいくらそう説明しても聞かない。「Wa会長はとてもいい方だ。お願いすれば必ず来て下さる」と言い張る。この人は案外世間を知らない。

 仕方がないからWa会長宛て、かくかくしかじかとFAXを打った。修了式の予定は1月24日でしたが、果たして鎌倉の方ではスロバキア舞踊団公演の受け入れ等々があって到底修了式参加は無理との回答。そうしたら、では式を31日に変更して再度お願いしようということに。またFAXを打ちましたが、その日は新年会の予定があって・・・という回答。ここに至ってSさんやっと諦めた。結局、式は初めの24日に戻して行うことになりました。

 ちょっと横道に逸れます。これは私がJ市から帰国後に聞いた話です。湘南国際交流会からJ市へはT先生の修了式のときと、故T先生の顕彰碑建立のときの二回、会長ほかの人が行ったそうです。で、その顕彰碑建立のとき盗難に遭ったとのこと。まずホテルに投宿し、すぐ市の歓迎会出席の為に出掛けた。帰ってきたら室内に置いた荷物からパスポートと現金が消えていた。予め情報を得て泥棒が待ち構えていたとしか思えません。ホテルに情報を流した者がいる。しかし、犯人は捕まらなかったようです。

 それから、故T先生は(ここまで男性と思われていたかもしれませんが)実はしっかりした家庭の奥様でした。熱心なクリスチャンだったらしい。ご主人と上智大学在学の娘さんを置いて最初Z市、次いでJ市で日本語を教えられた。何が彼女を駆り立てたのか、それは分かりません。折角NHKで養成講座を修了した。その知識を活用したいということだったのでしょうか。J市の修了式を終えて帰国。即入院して5日後に亡くなったそう。ご病気は肺癌。J市で教えているとき既に相当悪かったのではないか。でも決まりが付くまでは・・・と頑張られたのでしょう。

 さて、本題に戻ります。それでは審査員は誰にするか。私はどちらかと言うと生徒の立場。つまり、教えた成果を評価される側です。だから審査員には入らないと宣言しておきました。実はもう一つ事情があった。Yは早くも10月頃から、クラスで誰が一番できるかを気にしていました。12月には、絶対自分がコンテストで1等を取ると言っていた。他のトップクラスの生徒も口には出さねど同じ思いであったでしょう。すると私が審査員に入るのはまずい。

 この時までに、「Yは先生の線で日本へ行くだろう」とSさんが言っているという話を小耳に挟んでいました。初期の頃よく宿へ遊びに来ていたし、ピンポンの相手をしたり、妹の小卉に連絡を取ってくれと頼んだりして、他の生徒より親密であったことは間違いない。でもこちらにはそんな意志は毛頭ないし、第一そんな能力はありません。その辺から、Sさんが授業の前後に「個人的な交際禁止」を厳しく言っていたのは、外国人と間違った関係にならないようにということではなく、自分のルートから客が逃げないようにとの囲い込みだったとも推理できます。それは勝手な誤解。また、Sさんも下世話な噂が好きな普通の女性と同じ・・ということですね。

 結局、審査員はいつもの日系会社の社長、大学の日本人。新来の青年海外協力隊員のMさん。看護婦さんです。更に、私の知人の写真家A氏ご夫妻にお願いすることになりました。

 後任教師の問題は12月に私が持ち出しました。鎌倉でNHKの方に「HAさんと半年ずつ交代するといいですね」と言われている。HAさんという方はNHK養成講座の修了者で、やはり候補者として鎌倉に来てSさんに会った人です。その約束がある以上はその線で固めたい。

 Sさんは鎌倉へ来る前、G県M市で紹介されたHBさんにしますと言う。中国好きの女性だとのこと。日本語教育歴は?と聞いたら、それは知らない。R氏に聞いたら、これから勉強するんじゃないでしょうか・・と言う。いくら何でもそれは無理でしょう。中国の人はモノの考え方が大雑把です。しょうがないから、日本には日本語教師養成のいろいろなコースがあります。それは日本語が話せれば誰でも日本語を教えられるわけではないからです・・と縷々説明しました。その後の経緯は省略します。結局、Sさんが湘南国際交流会との関係を保ちたいと言い出して、HAさんに依頼することに決定。しかし現実には新学期にクラスが成立せず、HAさんはJ市に赴任できませんでした。
TOP  前頁 NEXT