44. 落ち穂拾い-1  この滞在記は終章の最後に「99年8月記」とありますように、役目を終えて帰国後数ヶ月の発酵期間を経、約一ヶ月掛けて書き上げたものです。私の日本語教室に直接関係がないこと、関連がなくはないが少し距離があることは書きませんでした。横丁に入り込みますと、どうしても話が散漫になりますから。ここではそういう本筋から外れた事柄を少し書いてみようと思います。
 1.R氏のこと
  初めて会ったとき「滞日8年」と言っていました。「私は字はちょっとダメなんですよね」と言っていましたが、日本語は殆ど問題ない。ただ、どういうキッカケで日本に行くことになったのか。そして最初はどこ、次ぎにどこで何をした・・・という説明はしない。こちらも聞きませんでしたが、彼が自分の話をするとき、核心部分をハッキリ言うことは殆どなかった。だから彼の日本での職歴については分かりません。おそらく日本初期のころは、私がJ市に到着したときに先着していたG県I氏の会社で働いていたのでしょう。その後、別の筐体メーカーにもいたらしい。そして彼について特筆すべき経歴は、かなりの期間、警察の通訳をしたということです。それがいつ頃から始まったのかは例によって本人が説明しないので分からないのですが、どうも会社に勤めているときに警察から依頼があって、会社の方からも「協力して上げたら」と勧められたらしい。だから勤めと並行でやっていたようでした。

 ご存じのように昨今、日本で中国人の犯罪が激増している。逮捕すると取り調べをしなくてはなりません。相手は日本語が分からない。中にはできるのもいるんでしょうが、不利になるから分からない振りをする。一方、警察には中国語ができる人間が居ない。どうしたって通訳が必要になる。ところがこの通訳がなかなか見つからないんだそうです。「エー。そんなことないんじゃ?」という気がします。中国語勉強した人、或いは中国から引き揚げて来た人が沢山いるじゃないか。そう思うのですが、これも皆さんご存じのとおり、中国には方言が多い。普通語を勉強しただけの人ではこちらからの普通語は通じるとしても、相手の方言が聞き取れない。引き揚げて来た人の場合はもうお年で頼めない。仮に頼めたとしても、中国の最近の事情は知りません。それだと多少不都合があるようで、兎に角通訳不足はG県に限らず日本全国、どこの県警も困り果てているアキレス腱なんですね。

 彼は日本語はうまい。最近の中国を知っている。方言も分かる。尤もこの点は少し眉唾。彼は方言も分かると言いますが、実は適当に取り繕っていたのだろうと私は推測する。と言うのは、O先生(J市のお役人)は通訳にはL氏を好んだ。R氏を使わない。ある時L氏に「なぜR氏を使わないの?」と聞いたところ、「Rさんは正確に伝えないから」と言う。そのときは「ふーん」ということで終わりましたが、その後何かのとき、R氏に「あんたあんまりO先生の通訳をしないね」と言ってみた。彼の答えは「こちらの人は結構きつい言葉を使います。そのまま訳しちゃうと日本人は不愉快に感じる。特に先生はボランティアで来ておられる。そりゃマトモに通訳したら先生怒っちゃう。だから柔らかくお伝えする。それがO先生には不満なんでしょう」。つまり、臨機応変にやっているということ。

 この一件で分かるように、彼は気配りの人でした。別の言い方をすれば融通が利くんです。だから、容疑者の方言が分からなくても前後の関係で推測しながら適当に訳していたんだろうと思う。そして、時には取り調べの警察官に忠告というかヒントなども与えていたらしい。例えば「あなたは少し性急に過ぎますよ」とか、「彼は母親思いですから、その辺を少し聞いてみたらどうですか」とか。彼自身の言葉によれば「本来通訳は厳正中立であるべき。でも取り調べが厳し過ぎると容疑者が意地になる。取り調べが進まない。時間が掛かれば日本政府の出費が嵩みます。だから、なるべくスムースに調べがつくように気を使うんですよ」。言われてみれば「なるほど」と思うようなことを言う。

 確かにこういう通訳はちょっと見つからないのでしょう。次第に県警に信頼されるようになり、しまいには隣のN県警から、更には警視庁からも声が掛かるようになったらしい。「警視庁の時は防弾チョッキを着せられ、早朝の踏み込みに連れて行かれて<先生は後ろにいてください>なんて言われましたよ」とか、「G県の中ならスピード違反で捕まっても名刺出すと<アーッ! 失礼しました。どうぞ行ってください>なんてフリーパスでしたよ。ワッハハハ」などとよく自慢していました。名刺に県警通訳と印刷していたようです。

 彼は「日本は三権分立でいいですねぇ」とよく言っていた。民主主義でいいという意味もあるんですが、実はこれ、彼一流の諧謔。警察、検察庁、裁判所と一日に三箇所回ることもあったらしい。するとそれぞれの役所から一日分の日当が出る。笑いが止まらない・・というわけです。かなりのお金を貯めてJ市に帰ってきた。その金で茶房を開業。マンションを買った。勿論、両親の面倒も見る。人が羨む羽振りのよさ。それだけに誘拐が怖いと用心棒を雇うなど、えらく警戒していた。誘拐なんてホントにあるのかね? と私が冷やかすと、「先生は中国の裏をご存じないんですよ」と大真面目に答える。まぁそんな風でした。
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