48. 落ち穂拾い-5  5. 茶房 R氏は茶房を経営していました。繁華街のビルの地下一階。かなり広いスペース。壁際に西洋レストラン風の半円の客席。中央部にテーブル。6畳くらいの個室が三つ。フルに座ったら100人は軽く入るでしょう。ここで見聞したことを少し紹介します。
 R氏の話では、開店当時は入り切れないほど客が来たそうです。J市ではこういう店は初めてだったからとのこと。厦門にはこういう店たくさんありますけどね。

 お茶は色々あって、棗やら何やらゴチャ混ぜの八宝茶なんてのも出していましたが、最低10元は取っていたみたい。このJ市にはデートの場所が無い。市内の川縁に情人通りというデート場所がありましたが、そこじゃ腰掛けることもできない。それで若者がワッと押し掛けた。更には賭け麻雀をする人、密談をする人が個室を使う。ところがここの繁盛振りを見て、忽ち他でも真似をし始めた。それで客が減った。また、景気が悪くなってきて客足が落ちた。私が赴任した頃はもう営業不振になっていました。

 R氏が日本に強いコネがあると聞いて、いろんな人がR氏に会いたいと言ってくる。彼はこの茶房で会う。滞在後半の頃は私も午後は暇になっていた。それでちょくちょく遊びに行っていた。まぁ本当によくその種の用件の人が来ていましたね。みんな日本へ行きたい。行けば金になると信じている。彼は日本ってそんなに簡単じゃないよ・・と根気よく説明していた。そして彼も商売人。多額の手数料を要求する。すると大抵の人が諦める。彼に言わせると、どんな人間か分からない人を日本の知り合いに紹介できない。変な人間だったら私の信用にかかわる。だからとても払えないような金額を言うのです・・・と。そりゃそうだ。結構彼も考えているのです。

 銀行の預金勧誘員というのも来ていました。日本と違って個人営業らしい。英語も話せる女性でした。大口の預金を銀行に取り次ぐと銀行がリベートを呉れる。だからやり甲斐があります・・・と、その勧誘員自身が言っていた。いい身なりでしたね。R氏に「あれ怪しいんじゃないの?」と言ったら、いや中国じゃこういうのもあるんですよ・・と言う。かなり執拗に通って来ましたが結局、彼は勧誘に応じませんでした。それは賢明だったと思う。尤も当時、彼は現金を持っていなかったのかも知れない。それは兎も角、私は今でもあれは正規のものではない。応じたら引っ掛かっただろうと信じています。銀行には浮き貸しというものがありますからね。

 いろんな人を見た中で強く印象に残った人。旧日本軍の少尉だったという老人がよく来ました。体格の良い人でした。南京の国民党軍砲兵学校生徒だったのかな? 日本軍に占領され、学校は日本軍の学校になり、卒業と同時に日本軍の少尉に任官した・・と言うのです。で、日本の敗戦で一転して今度は漢奸。迫害されて窮迫。まともな職に就けず妻帯も出来ず。なんとか命だけは繋いできた。日中国交回復後、日本国総理大臣宛何回も直訴状を送ったが梨の礫です・・と訴える。

 これは私の推測。おそらく日本の陸軍省はあずかり知らぬことだったのではないか。日本軍に編入なんて現地軍が勝手にやったことで、陸軍省の士官名簿には載っていないでしょう。あの問題の南京攻略戦だって、現地軍が制止する参謀本部を無視して行動開始したのですから。だからその老人から訴えられても日本政府としては取り上げられない。気の毒ですがどうすることもできないわけです。その人は「日本語を話したくなるとここへ来るのです」と言っていた。運命の狭間で翻弄され一生を苦悶し続けて送る。生き残ったのが幸せかどうか。本当に気の毒で顔も正視できなかったですね。

 最近(04年)になって前主席の経歴に疑問が呈されています。彼は日本敗戦時、南京中央大学学生だった。この大学は日本の傀儡政権が作ったもの。彼の実父は日本軍協力者だったらしい。それで入学できたのだと見られています。そして日本敗戦後、彼は一時姿をくらまし、その後上海交通大学に編入された。編入に際しては相当厳しい調査があった。なのに何故彼は編入が許されたか。彼には共産党地下組織員として活動し犠牲になった叔父がいる。戸籍をその叔父の養子としたからではないか。当時上海は国民党が抑えていた。で、彼は上海交通大学の党地下組織に加わり・・・と言っているが、実は当時大学に共産党地下組織は無かった。要するに前歴を偽っているということ。真偽は別として、片方は要領よく立ち回って国家主席にまで上り詰めた。片方は食うや食わず。やっぱり人生要領かなぁ。今頃そんなこと言っても遅いよ。ホント、そうですね。

 経営不振でR氏はこの茶房を売ろうと考えた。それを誰に伝えたのか知りませんが、近所の同業者から買いたいとofferが来た。で、話しに行くから先生一緒に行きましょうと言う。私はそんなこと興味ない。話もチンブトンです。なのにこの時に限らず、R氏にはこういう風によく誘われました。あっちこっち引っ張り回された。これ彼の一種の営業なんですね。日本人の朋友がこれこのとおりいるぞ・・・と見せたい。話よりも現物の方が説得力ありますから。

 その同業者の茶房は個室だけでした。一目でいかがわしい系統と分かる。女も置いている。電話があると出前もする。主がいないと用談ができない。それでR氏はその女連中とも話すんですが、聞いてみると随分遠くから来ている。東北も四川もいる。どういうルートで流れて来るのか。主は30そこそこの若い男。話は雑談ばかり。核心に触れる話はしないみたい。後でR氏は「あの男は裏社会の人間だ」と断言する。なんで分かるの? 「この辺の人間じゃない。彼は他省の出身だと言っている。それじゃ身元は分からない。それにあの若さでこんな店持てるわけがない」という分析。まぁ何回も連れて行かれましたが、その話は結局どうなったのか知りません。

 相手は誰か知りませんが、兎も角R氏は私の帰国後茶房を手離した。随分損をしたと言っていました。「じゃまた日本へ来て、例の三権分立で稼ぎなさいよ」と言ってやった。「いやぁ参ったなぁ。先生には敵いません」と意味不明なことを言って笑っていました。
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