6. 明信片
明信片
これは絵葉書。横16.5cm縦10.2cmあります。年賀葉書は宝籤が付くからもっと長いです。

 日本出発前の話では、開講は9月1日ということでした。だから打ち合わせのあと、すぐ授業準備にかかるつもりでいました。ところが、開講は「都合でちょっと延ばします」とR氏が言う。「どれくらい?」。「ええ、ちょっと」。

 何だかサッパリ要領を得ない。これが日本ならハッキリしろと迫るところ。でも、ここは中国。まして来る前にNHKの人から「大陸では慢々地(マンマンデー)でやりなさい」と言われている。こちらは何も失うものはない。慢々地大いに結構。先の心配はしないことにする。

 さて、それでは何をするか。取りあえず友人知人に到着の知らせを出したい。事務所の小O(小は若い者につける呼称。)に「絵葉書はどこで買えますか?」と聞いた。書店にあるという。小Xが昨日の打合会以降、人の顔を見ると「先生用無いか?」と煩い。だからすぐに小Xを呼び、買ってくるようにと言った。ところが、絵葉書と「買って」が分からない。絵葉書がダメなら葉書。次にpostcard。どちらも分からない。絵を書いてみた。ダメ。もう一つ、「動詞。買う、買って」と書いてみたが、これは辞書で調べ始めた。しょうがないから再び小Oを呼んで、絵葉書を小Xに説明してくれと頼む。彼は一言「明信片(ミンシンピン)」と言った。小Xはやっと理解した。「買う」は「マイ」。これは小Oが簡体字で書く。分かったところで「すぐ行け」と追い出す。

 実は彼との接触は数日前から始まっています。朝、宿に迎えに来て、帰りは送って来る。たかだか15分足らずの距離に送迎は不要(ブヤオ)と言うのに、彼は自分も同じ方向だからと聞かない。それだけでも煩わしいのに、「日本語勉強したい」と言って、何かと私に質問する。ところが、それが何を言っているのか分からない。日本語になっていないのです。「どういう意味?」と聞き返すと、これがまた向こうに分からない。簡単な日本語ならOKという触れ込みでしたが、マルデダメオさん。 あまりつれなくするのも可哀想。なんたってアシスタントなんだから。で結局、道の真ん中でテキは自転車のスタンドを立て、やおら手帳と万年筆を出して筆談と相成る。ボールペンではありません。くどいけど、「万年筆」なんです。筆談ったって、日本語じゃない。中国語です。私は少々ですけど中国語を勉強したことがあります。それを見てテキは当方の言うことは分かる。けれど自分の方の日本語が出てこない。苦悶の体で辞書を取り出したりする。横を通り抜ける中国人がみんな振り向いていく。

 この数日ここで暮らして、街を歩いていても私は案外目立たないらしいと分かりました。後ろから自転車で追い抜きざま、わざわざ振り向いて覗く奴もたまにはいますよ。しかし概して、「オ!外国人だな」といった目つきで見ますけれど、首を横にしてまで見ることはない。それが小Xと筆談を始めるとみんな何ごとならんやと見ます。そのうちに人だかりができるのではないか。そんな恐怖を感じるくらい。だから彼と一緒に歩くのは気が進まない。

 翌日、小Xに「どうだった?」と聞いたら、「没有(メイヨウ)」と言う。絵葉書のことです。信じられない。彼の話では、市政府に程近い図書館の前に新華書店という書店があって、数日前先生用のJ市地図を買った。そこで聞いたが売っていなかった。「だが文化部ならあるかもしれない」と言う。新華書店文化部という店が別にあるようです。書いてしまえば簡単ですけど、実はこれだけの事を理解するまでが大変。図書館が「トウショカ」と聞こえる。彼は「前」という単語を知らない。「トウショカ、うーうー、ショガン、ナイ」。ショガンは書館。ナイは没有。紙に漢字と地図を書かせてやっと分かった。「じゃ文化部へ行こう」と、すぐに出かける。勿論小X同道です。

 新華書店文化部は繁華街のデパートの裏手にあった。文化部って何だろう。本だって文化じゃないか。行ってみたら毛筆や、扇、紙、絵具などの店でした。「明信片」と聞くと、あっさり「没有」。「どこならあるか?」。郵便局に行けと言う。郵便局はすぐ隣で、かなり立派な建物です。早速行ってみたら、窓口には数人の客が群れています。

 ちょっと余談になりますが、中国やアジア諸国を旅した方はよくご存知でしょう。中国人に限らずアジア諸国の人は自発的に列を作ることができない。窓口・受付の前には人の塊ができる。少しでもすき間があれば頭を突っ込む。頭が入らなければ手を突き出す。だから駅の切符売り場、改札口などは鉄パイプまたはベンチで仕切られています。そうしないと、みんな前へ前へと割り込んで収拾がつかないのです。

  郵便局には行列用の仕切りはありません。今いる2、3人の客はそれぞれ手紙やらお金やらを差し出して、口々に何か言っています。係員は一人。これは悠然と仕事をしている。それが終わると、目の前に突き出された手から受け取って次の仕事を始める。どいつが先に来たかなんてまるで見ていない。私はこの我れ先にというのができない。しかしそれでいて、後の奴が先になると腹が立つ。ここは小Xの出番。私は後ろに控えて見ていました。

 見ていると、小Xは躊躇なく先客の間に首を入れて、係員に何か聞いている。係員が仕事をしながら何か答える。小Xこちらに戻ってきて言うことには、「葉書は正月の年賀状だけ」。へぇー、葉書は売ってないの。中国人て葉書は使わないのか。 しかし、どうにも納得がいかない。じゃぁデパートに行ってみよう。すぐ隣のJ市商業城の文房具売り場へ。ここも小Xに聞かせる。答は没有。うーん、本当に無いのか。この後、市内の観光名所へも行って見ましたが、そこでも売っていませんでした。

 これで葉書・絵葉書はJ市では入手できないと分かりました。これは二重のショックでした。一つは手軽で安価な通信手段が手に入らないということ。もう一つは、文だの書だの文化の原型はたいてい中国渡来と信じていましたが、そういう観念は間違いかも知れないということ。つらつら思うに中国四千年の歴史は戦乱の歴史。だから中国人は仲々本心を言わない。人を簡単に信用しない。葉書は明信片。秘密に属することは書けない。だから使わない、ということなのかな?  いやそうではない。日本人だって他人に読まれたくない事は書かない。専ら簡単な用事、時候の挨拶にしか使わない。中国人はそういうことはしないんでしょうね、きっと。

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