8. 南 京-1  J市に行くと決まって、それが南京に近いと知ったとき、ちょっと複雑な気持ちでしたね。行けば南京大虐殺が必ず持ち出される。でも仕方がない。戦後長い間このことは「あった」「なかった」と争われてきた。この問題絡みの発言で辞任に追い込まれた大臣が何人もいます。

 私の意見は・・。火のないところに煙は立たない。だから何かあっただろう。しかし犠牲者数30万人超はいくら何でも多過ぎる、という見方です。当時南京市民は20万人程度だったらしい。それに避難民が10万人いたとしても、30万人もの人間をどうやって殺します?  それと、仮に30万人皆殺しにしたとして、その後始末は誰がする?  その一点を考えただけでも疑問が残ります。ただし、そうかといって、私は日本が中国を侵略しなかったなどとは毛頭考えていません。中国に対して甚だ非人道的な仕打ちをしたことについては、日本人の一人として誠に申し訳なかったと考えています。 

  この際と思って、日本を出る前に岩波新書「南京事件」を買いました。他にも中国関係の本も数冊。私はいつも行先国の本を買い、滞在中読むことにしている。何と言っても現場で読むのは身になるんです。また、暇なとき退屈しないで済む。ところが今回、折角持参したのに忙しくて仲々読めない。そうこうするうちにOK副主任(以後O先生という)から、「食事しながら懇談したい」と声がかかった。これから長くおつき合いする人です。勿論お受けしました。

  29日(土)午後、L氏を伴ってO先生来たる。玄関からでなく、隣家との続きドアから現れた。わが宿は、内部で隣家とドア一つでつながっているんです。二所帯住宅と言えば分かりやすい。O先生の説明によれば、隣の大家さんとは「古い友人」なのだそうだ。だから先に大家さん宅に挨拶してきたと言う。

 ここを私の宿舎にしようと考えたのはO先生らしい。本来ここは大家さんの親戚の家で、その親戚は普段は台湾に住んでいて、春節にだけ帰ってくる。だから普通なら他人には貸さないのだが、そういう関係だから・・と、これは滞在中O先生自身から、厚遇の証拠として何回も言われた。S、L両氏にもやはり「J市では最高の住宅を用意したんだから・・」と繰り返し言われた。しかしこれはO先生とは少しニュアンスが違う。「私の家は二部屋しかない。それに引き替え・・」ということ。確かにここの住宅事情は余り良くなさそう。しかし、何回も恩着せがましく言われるのには閉口しましたね。私は「広い宿舎を用意してくれ」なんて一言も言っていません。土地の人と同じ扱いで十分なのに・・。日本人はお客に対してこういうことは言わない。こちらの人の感覚は日本とは反対のようです。

  広い客間でお互いの履歴、趣味など四方山の話をしました。彼は電子工学の技術者で、長らく上海にいた。両親が老いたのでここに帰ってきたのだという。工場の技術者が役人に転じるなんて日本では稀。しかしこの国では企業は国営。役人も国家公務員。おかしくはないのでしょう。Sさんも元は国営企業に勤めていた人だそう。ただ一つ硬直的と言おうか、この国の体制は非人間的と思ったのは、O先生は奥さんと14年間も別居を余儀なくされたとのこと。奥さんとは成都(四川省)の大学で同級生だった。しかしここは社会主義国。卒業して彼は上海へ。奥さんは成都で就職。結婚したが職場は変われず、長い間別れて暮らしたのだそう。今は奥さんもJ市に移り、TV局で働いている。

 どうして中国へ来たのかと聞かれた。鎌倉での一部始終を話しても始まらない。学生時代から中国に関心があったからと答える。このあたりで急に改まり、「老師と本当の友達になりたい。心を隠していては本当の友達になれない。お互い本心で話そう」と言う。そして「前の戦争をどう思うか」ときた。「全く申し訳ないことだ」と言うしかない。遂に「南京では・・」と始まった。予想通りの展開だ。「日本軍は300万人も殺した」と言う。それまで柔和だった顔がちょっとこわ張っている。 しょうがないから自室から新書「南京事件」を持ってきて見せた。このとおり、日本でも詳しい調査に基づく本が出版されている。小生は無知ではない。従って事件は否定しないが、犠牲者が300万人というのは誇張だ。「第一どうやってそんなに殺せますか」と言ってやった。

 そのことは有耶無耶のまま、「我々は許すことはできるが忘れることはできない」と言う。それはそうだろう。次いで紙に「不戦」と書く。それも異議なし。我輩が大きく頷くのを見て彼も気が済んだのか、また元の穏やかな顔に戻った。どうもこれを言いたくて来たような気がするな。それとも私の思想調査に来たのだろうか。

 一通り話が済んだところで、食事しようと街へ出ます。中国は食べ物屋が多い。軒並みと言ってもいいくらい大小のレストランが並んでいます。そして、繁盛している店とそうでない店とがはっきり分かれている。O先生お目当ての店は、まだ早い時間なのに満席。やむなく閑散とした小さいレストランで火鍋をつつく。火鍋というのは大きくて深い鍋の真ん中に仕切りがあって、片方が辛い(辣・ラ)スープ、もう一方が辛くないスープ。下からプロパンガスの火で煮立てる。どちらか好みのスープに野菜、肉、魚(太刀魚)、豆腐、練り物などをぶち込み、茹だったところで胡麻油に浸けて食べるのです。 ここは内陸部なのに、どういうわけか太刀魚がふんだんにあります。蟹は上海蟹の本場だけれど、火鍋のような庶民的料理には出てきません。

 この火鍋は最近の流行のようです。「うまいか」と聞かれて、仕方なく「おいしい」と答えたけれど、本当はうまくもなんともない。だってあなた、説明を聞いてお分かりでしょ。昆布だし取ってるわけじゃなし、味つけに工夫があるわけじゃなし、微妙な味わいなんてどこにもない。ただ熱いだけ。こんなの料理とは言えません。日本人の味覚は繊細だと改めて思ったことでした。
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