01.06.30  都江堰・成都
都江堰
都江堰。写真では見えないが突堤の右先に巨岩があり、これが激流を切り裂く。高さ20mほどの水柱が立っていました。
 茂県から道はほぼ平坦になりますが、左も右も切り立った山。つまり、まだ岷江峡谷の中を走っているということ。10時間の余も走ってまだ抜け出せない谷なんて日本にあるだろうか。ちょっと考えても思い付かない。お昼近くになってやっと平野部に出た。出た所が都江堰市です。ここで昼食を取った筈なんですが、どんな店だったかまるで覚えていない。この後見た都江堰の印象があまりにも強烈でしたから。

 この堰についての知識はありました。大昔に造られたものだが、自然の力を実に巧みに利用していると。この堰によって、荒野であった四川平野が天府と呼ばれるほど物なり豊かな地に変ったのだとも。まさに百聞は一見に如かず。展望台から見下ろして息を呑む思いでした。岷江を二つに切り裂く突堤の先から高い水柱が立っています。その高さで水流の勢いが分かる。展望台の説明に「この堰が出来る前は洪水に悩まされた」とある。そうでしょうね。写真でお分かりのように、相当な水量でしかも激流です。岷江がそこら中を水浸しにしたのでしょう。おまけに大石・砂礫も運んでくる。田畑が維持できよう筈もない。

 説明には更に「この堰を造るのに郡守○公親子二代百年かかった」とある。ヒェーッ。百年ですってよ、百年。よくもまぁ途中で諦めなかったものだね。機械が無い時代だから、それこそ人海戦術でやったに違いない。土方をタダで働かせることは出来ないだろう。すると出費も大変な額だったのではないか。これが出来たのが紀元前3世紀だと。すると当時の中国文化は世界最高のレベルだったんだなぁ。唯々感服、敬服するのみ。しかし、考えてみるとそれから2,300年経っている。その間にこの国はどれだけ進歩したのだろうか。いえ私、皮肉を言っているんじゃありません。真面目な話、この国は分かり難い。この国は巨象。私はそれを撫でる群盲の一人。でもこの2,300年が何だったのかを考えてみることが案外、この謎解きにつながるのではないかという気がします。

 見惚れているうちにツァーの仲間がいなくなってしまった。家内は慌てて後を追う。私は予めここに残ると言ってある。展望台は山の上にあります。下の堰を見て、また登って戻るのは苦痛。兎に角私、上りに弱いんです。展望台直下にあった○公親子を祀るお堂だけ見てさっきバスを降りた表通りへ出、そこにノンビリ座っていた。観光バスが次から次へやって来て客を降ろし、みんなどこかへ去って行きます。一台も残らない。それを見ていてハッと気がついた。ここで待っていてもバスは戻って来ないんだ。バスの溜まり場は別の所なんだ、きっと。

 慌てましたね、正直。さぁ大変。どうしよう。私、言葉が出来ない。目の前に管理事務所があった。そこへ飛び込んで、「我的朋友men没有了。巴士在那里?」と紙に書いて見せた。そこのおじさん「オーオー。在ナントカ」と言う。私わかんないからおじさんを外の公園案内図(都江堰全体が公園になっている)の前へ連れて行き、それがどこなのか教えて貰った。ついでに「ゲートにまた入っていいか?」とジェスチャー。多分しょっちゅう私みたいな粗忽者が現れるんでしょうね。アッサリ「可以可以」と言う。それから私、公園を突き抜けた向こうのバス駐車場へ向かって真っしぐら。一人足りないと騒ぎになっているンじゃないか。かみさんが困っているんじゃないか。

 息せき切って駐車場へ辿り着きましたところ、我々のバスの中には誰もいない。ええ。このときにはもう私、バスのナンバーを覚えていました。九寨溝で失敗していますから。やれやれ。ホッとした。まだみんな公園内を見物中で、私の方が先に着いたわけ。グループのときは迂闊に別行動をしてはいけません。するならガイドに言っておかなくては。ただこのとき、公園内に我々のガイドは入らなかった。入れないと言うべきか。公園には専属ガイドがいる。ツァー客は公園専属ガイドに渡されちゃうんです。そういう仕組みも知らなかったものですから、展望台でボンヤリしているうちにみんなその専属ガイドに連れられて消えちゃったんです。ま、兎に角、大事に至らなくてよかった。大恥をかくところでした。

 都江堰から成都へは道も良く、距離も近い。その道ですが、広い中央分離帯があり、更に片側3車線もある。有事の際には電柱・立木を倒し、中央分離帯を削れば、戦闘機の離着陸が可能な滑走路に早変わりしますね。この道を見て、その資金がこの道路に使われているかどうかは分かりませんけれど、日本政府が使途の限定もせずに多額の援助を続けているのは問題だと感じました。

 成都へはまだ明るいうちに着いたように思います。古来「蜀犬陽に吠ゆ」と言われる土地ですから太陽が見えるのは珍しいのでしょうが、都江堰もこの後の楽山も晴天でした。成都だけは太陽が見えたかどうか記憶がハッキリしません。ただ、雨じゃなかったことだけは確かです。ホテルの名前忘れちゃいましたが、確か三星でした。

 夜、私達夫婦とAさんの三人で成都小吃名城とかいう店へ食事に。ツァー仲間の中国人が「この店はおいしい」と太鼓判を押したので。でも店の建物は古い木造で趣がありましたけれど、味は良くなかった。どこがおいしいの? 味覚の違いというのはどうしようもないものですね。そうそう。このとき仲間のKさんは体調を崩し、部屋で休養していました。黄龍からの下りで気持ちが悪くなった。川主寺で食べた物も合わなかったのでしょう。

 01.07.01 成都ではツァーとして武侯祠と後どこへ行ったか記憶がない。ただ、変瞼には連れて行ってもらえなかった。その時はそういうものがあると知らなかった。後で知ってとても残念に思っています。成都なんてそうそう簡単に行ける所じゃありませんものね。夜、陳麻婆本店へ行きました。このツァー、夜の食事は付いていないんです。で、その陳麻婆本店。行ったらバカに綺麗なんでビックリ。まるでイメージが違った。そしてここでも失敗。注文するとき中辛を選んでしまった。激辛食べると七転八倒と聞いていましたから怖じ気づいた。中辛は食べたらどうということなかった。やっぱり本場では本物を食べるべき。尤も昨日の成都小吃はまずかったけど。でもそれも話の種になります。
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