12.あとがき
嫁入りの輿
嫁入りの輿。シンセン民俗村にて。これは中国各地の観光地で見られます。

 6.あとがき
 インド旅行の予行演習のつもりで出かけて行って、その結果はどうだったか。

 「一人で
インドを旅行するのは止めた方が無難」という判断に落ち着いた。本文中に書いたように、私はネパールの汚さ(特にカトマンズの)や客引き、押しかけガイドのしつこさに辟易した。しかるにインドのそれはネパールのレベルとは比べようもないくらいひどいと聞き及んでいる。また時期によっては、その暑さは想像を絶するものであるという。そういう厳しい環境の中で、執拗に押し寄せる客引きや押し売りやを巧みに捌き、そのうえ旅をエンジョイして帰って来られるか?  と自問すると、正直に言って自信がもてない。

 まあ途中で倒れるようなことはないだろう。しかし、疲労困憊して帰路につく、ということは大いにありそうである。されば「なにもそんなに苦労してまで行くことはない」と平凡に思うのである。 次回は行く方向を180度、つまりもっと綺麗な所に変えたい。

 パック旅行がいいと勧めて下さる方がいる。しかし私は、旅は自由旅行
に限ると考えている。一般にパック旅行は比較的高級なホテルに泊まり、観光名所を見物し、ショッピングのお膳立てに従い、まずまずの食事をして、要するに安全快適な旅行になるようにセットされている。安全快適が悪かろう筈はない。それは大切なことだ。

 では何が不足なのか。私は人間に興味がある。なるべく土地の人と話したい。パックツァーではそれがし難い。次に、費用をなるべく安くあげたい。私は泊まるところがいいホテルでなくても、一向に苦にならない性質である。しかしその点に関しては、以前ある先輩に、「おまえの考えは間違いだ」と言われたことがある。その方はパックツァー、それもJTB専門で始終旅をしておられた。その方の言い分は要するに、「自分でホテル・交通手段をセットする手間暇と費用は、結局パックツァーの費用とトータルで同額になるか、または大差ない」ということである。「ならばいいホテルにガイド付きの方がいいじゃないか」という論理なのだ。

 そうかも知れない。自分でセットすることは確かに苦労でもあるし、費用もそれなりにかかる。が、同時に面白くもあるのだ。その過程で新しく知ることもあるし、土地の人間や文化を観察することもできる。そういう事柄は旅の醍醐味の一つの大切な構成要素ではないだろうか。難しい言い方をしてしまったが、平たく言えば手間を面倒と考えるかどうかというポイントと、旅に何を期待しているかというポイントで、旅行のフォームの違いが出ると思う。

 本文中頻繁に、物やサービスの対価について私がどう感じたかを書いた。つまり安い、
高いという判断である。自分でも少ししつこいかな・・と思う。これは一つには記録の意味もある。更にもう一つ理由があって、その方が大切だと思うのだが、私は旅のあいだ中、観光客のルーズさで物の相場を上げてはいけないと自戒している。だから、タクシーの運転手がお釣りを返さないことにもこだわる。5バーツくらい、日本人にはどうということはない。しかし土地の人にとっては、どうということがあるのである。こちらが鷹揚であることによって、「日本人の場合は端数は返さなくてもよいのだ」とか、「パー1回につきチップいくらと要求すれば必ずくれる」という習慣をつけさせてはいけないのだ。それは必ず他の日本人にはね返り、また(日本人的感覚で言えば)要求する人間をスポイルする。そんなこと言っても現実には、既に悪しき習慣が定着している観がある。しかし私はそれに抵抗したい。たとえドンキホーテと笑われようとも。

  一人で旅行して来たと言うと、だいたい二人に一人は「奥さんは連れていかないの?」と言う。そして次に「言葉は?」とか、「言葉ができていいね」と言う。

 家内を同行しないことについては、三つ理由がある。一つは家内がパートタイマーとはいえ、一応仕事を持っていること。パートタイマーは正社員より休みづらい。二つ目は本人が、「アジアはもういい」と言っていること。三つ目は、家内を連れていくとやはり私も疲れるので、気が進まないのである。疲れるのは主として、関心の対象が違うことによる。行きたい所、見たいものが違えば当然、どちらかが我慢しなければならない。我慢することが多ければ誰でも疲れる。

 
言葉について言えば、私の英語は、ちょっとできる人が聞いたらたぶん噴飯ものだろ
う。発音は言うに及ばず、文法も目茶苦茶。強いてランク付けすれば中学初級程度だ。自分でも困っている最大の問題点は語順が出鱈目なこと。多少考える時間があるときはそうでもないが、考える余裕がないときは日本語の語順で出て来てしまう。そして、言ってしまってから慌てて訂正する。次に適当な単語が的確に出てこない。たとえばoppositと言うべきところをagainstと言ったりする。もっともっと勉強が必要だと自覚している。

 しかしそんな程度でも今のところ何とかなっているのである。言葉ができないために進退に窮した、ということは今まで幸いにしてなかった。お互い理解しようという気持ちさえあれば、言葉ができなくても身ぶり手ぶりで意志の疎通はできる。だから英語ができないから旅ができないと思っている人には、「絶対そんなことはないんだよ」と言いたい。思い切って飛び出せば何とかなるのである。                              1995年 6月 7日

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