8.カトマンズ−2
機内から操縦席を見る
操縦席が丸見え。パイロットが紅茶か何か飲んでいました。他にスチュワーデスが一人乗っています。

  飛行機は薄曇りの空を、気球のようにふわりふわりと飛ぶ。プロペラ機は牧歌的な趣があってよろしい。カトマンズ市街上空で機は右に90度旋回する。そのポイントが何と王宮。庭のプールから何から丸見え。もし国王が裸で泳いでいたら、上空から肉眼で識別できる。この国は変なところで民主的です。

  空港でタクシーを拾い、苦労してHotel My Homeに着く。入り口が普通の商店みたいだから、上に日本語で「我が家」と書いてあるんだけど分からず、1回素通りしてしまった。フロントに日本語を話す人はいない。部屋は5階。エレベーターなし。体調すぐれないから階段を這うように上がる。やっと部屋に辿り着いたら今度は部屋のドアの鍵が開かない。開いたら今度は鍵穴から鍵が抜けない。安いホテルだから仕方がないか。

  街に出る。28日に南部は歩いたから今度は北部。王宮近くで寄って来た男が「葉っぱいりませんか?」と日本語。大麻ですね。「そんな年ではない」と断る。「両替もします」。「要らない」。あっさり離れて行った。

土産物店
 操り人形がぶら下がっている土産物屋をひやかす。若い店主、「2階のギャラリーにもっと良い物があるから是非見てくれ」と言う。「いや、いい」と離れかけると、「手間は取らせない。ちょっとだけ」とこちらの腕を掴まんばかり。過当競争で大変なのだろう。仕方ない。「明日来る」と言ってその場を離れる。このときのベソかきそうな顔があとあとまで瞼に残って困った。人が良過ぎるのかなぁ。
  夜。街へ出る。今朝グルカと一緒に朝飯食ったが、固形物は小トースト1枚にゆで卵1コ。殆ど食べてないに等しい。食欲は無いが無理しても食わねばと、レストランを探す。ネパール音楽の実演をやっているガーデンレストランを見つけて入る。珍しく写真入りのメニューがある。スープに麺が浮かんでいるのと、オレンジジュースを頼む。ジュースはうまいが麺はまずい。途中で食べるのを止めた。固形物はダメだが水分は欲しい。ホットレモンを頼む。砂糖を入れて飲んだら、これはうまかった。生き返ったような気がした。帰りに雑貨屋でミネラルウォーターを買い夜中、何回も飲む。脱水症状か。 

<5月1日>

 朝。フロントマンが替わった。この人オタムさんという。日本語がかなりできる。ゆっくりとおだやかな話し方。おまけに坊主頭だから本当の坊さんのよう。坊さんに文句を言うのは気が差すけれど、「鍵のことで地球の歩き方に投書するぞ」とクレームつけてやった。びっくりしたらしく、すぐ部屋へ来ていろいろやり始めた。日本語で「この建物は90年に建てて、まだどこも悪くなっていないんだけど」と独り言を言う。そして「鍵をかけるときはノブを持ち上げろ」と言う。なるほどかかる。この人真面目だ。このあと、観光案内などよく教えてくれた。ただし、帰りの空港までのタクシー代は自己負担だと。地球の歩き方には「空港まで自家用車で送迎」とある。皆さん、地球の歩き方の情報を鵜呑みにしてはいけませんよ。

  カトマンズ近郊のいわゆる観光名所5カ所をピックアップ。オタムさんにタクシーを呼んでもらって回る。料金1100Rs余。約束の時間に現れた車に乗ってビックリ。窓の上部が数センチ空いている。閉まらないんだと。雨期に入ったらどうするんだろう。おまけに走るとガラガラと音がする。「ひどい車だね」。若い運転手、「5カ月前に70万円で買った」。思わず「crazy!」と叫ぶ。71年型のカローラ。関税が250%。他になんとか税。どうしてもそういう金額になるんだとか。

 この運転手の名前がまた凄い。「ブッダ・マハラジャ」。日本の信心深いばぁさんが聞いたら腰を抜かすよ。それにしても、日本の自動車は長持ちするもんだ。四半世紀過ぎてまだ走っている。我々は贅沢過ぎるんだな、きっと。すれ違い追い越していくバス、トラック。どれも真っ黒い排気ガス。「TATA」が多い。これインド製。この国はインドの勢力圏なんだ。小国の悲しさ。インドのご機嫌を損ねると石油の輸入を止められる。即座に息が詰まる。だからインドには抵抗できない。せっかくタクシーをチャーターしたのに、窓が閉まらないからハンカチで鼻を押さえながら走る。行く先々、押し掛けガイド、物売り、乞食がしつこい。興をそがれること夥しい。
以下簡単に、訪れた観光地の印象を述べると・・・。

 スワンヤブナート寺院(ラマ教)。カトマンズ市街を見おろす丘の上。行者とツーショット。ラマ教の寺院になんでヒンズーの行者がいるのか不可解。「何でも有り」ですな。
ヒンズーの行者
博物館
 パタン。カトマンズの南。14世紀の町。ラマ教寺院とヒンズー寺院が混在している。博物館に入ろうとしたら10時開館で入れず。
パタン
   バクタブル(写真無し)。ラマ教の古い寺院と古い街並み。   生き神様(女の子)が売りらしい。町全体が公園みたいな扱いで、入るのに金を取る。30Rs。駐車場はゲートの外。車を降りた瞬間から、押し掛けガイドにつきまとわれる。片言の日語で「ワタシ学生。日本語勉強シテイル」。一人振り払うと次が来る。まるで蠅。生き神様のいる場所へ来ると、しつこく付いて来た奴が「あそこに英語で立入禁止と書いてある」と言う。「I can read English」と強く言ったら、やっと消えた。番兵が剣付き鉄砲を持って立っている。大げさに見える。からかい半分、「この弾倉に弾は入っているのか?」と言ってやった。分かったらしく嫌な顔をした。
火葬場
 パシュパティナート。ヒンズー寺院であり、また火葬場。インドの゙ラナスィと同様の聖地か。教徒以外は立入禁止。でも火葬場は川岸だから、現に遺体を焼いているのが橋上から見える。暫く見ていたが、その煙に巻かれるのに閉口して退散。
 
 ボダナート。世界最大だというラマ教の仏塔。大きいだけで、どうということなし。

 ホテルに帰りオタムさんに、いいレストランを聞く。ここがいいと、親切にもそのレストランが見える所まで案内してくれた。下がレストラン、上はホテル。かなり広い。チベット食を注文。
仏塔
 ふかしパンに野菜カレー。パンは終戦直後の「ふすま」のパンに似ている。味がしない。うまいまずい以前の、素朴としか言いようのない味。腹具合は回復しつつあるが、やはり食べ切れない。値段も忘れた。忘れるくらい安いということ。向こうで白人男女が大勢車座になって談笑している。そこへ運ばれていく料理はみんな大盛り。彼らは食べるからタフなのか、タフだから食べるのか。また街を歩き回る気も起きず、ホテルに帰って昼寝。

 夜。また昨夜の゙ー゙ンレストランに行く。フレンチフライにホットレモンの砂糖入り。ホットレモンはうまかったが、フレンチフライは大皿に山盛り。見ただけでゲンナリ。二切れ食べて残りはtake out。ネパールは貧しいのに、どこのレストランでも量が多い。白人観光客が多いせいか。勘定を1千Rs札で払ったつもりが、5百Rs札相当の釣りしか返ってこない。ボーイにクレームつける。ボーイ断固とした口調で「5百Rsだった」と言い張る。証拠はないから、「そうか」と引き下がらざるを得ない。ネパール紙幣の数字はチベット文字で、非常に読みにくい。そして1千Rs札と5百Rs札のサイズがあまり変わらない。まあ、また行くこともあるまいが、今度は注意が必要と自戒。

 帰ってホテルのフロントにフレンチフライを差し入れ。フロントマンがオタムさんから昼の運転手に交替している。このブッダ・マハラジャ、このホテルの従業員兼観光ガイド兼日本雑貨店「麦]のマネージャーだと。しかし、日本語は話せない。「日本語が必要なんじゃないの?」と私。「3か月勉強したけれど挫折した。日本語は難しい」という答。お金が続かず大学も中退したとか。

 同宿の若い韓国人も居合わせ、3人でダべる。この韓国人は兵役満期の半年休暇中で、インドを3か月かけて回って来たとのこと。彼曰く、「インドは怖い。この前゙ラナスィで日本人観光客が殺された。ここは穏やかでいい。10年したらここへ来て住みたい」と。人の好みにケチつけて何でっけどナ、兄さんどこ見てはりまんねん。ここに住まはったらアンタ、遠からず胸の病気か癌になりまっせ。

 それにしてもこの若者、私よりも英語が下手。語彙が少ない。にもかかわらずインドに3か月も居られたのなら、当方インド楽勝かと楽観する。ブッダも「そういうけどアンタ、ネパールは民主的でないし、発展性はないよ。汚いしね」と言う。私も彼の意見に同感。街といわず郊外といわず、そこいら中ゴミだらけ。行政が機能しているようには見えない。王宮とか寺院に警官を張り付けるより、他にもっと大切なことがあるだろうに。 

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