00.06.04  寧 波
向陽漁港
向陽漁港(海鮮料理店)の水槽。立派な店ですが、お勘定は上海よりずっと安いです。

 いきなりレストランの水槽。「何でこれが寧波なの?」 と言われそうですね。実は撮った写真が少ないのです。当時、My HP作るなんて夢にも考えていなかった。第二に、寧波と言えば大抵の人が「遣唐使が目指した港」と思う。少なくとも私はそうです。だから当然、港があるものと思って行った。ところが行ってみたら、そんなものは無い。無ければ撮らない・・・という次第。

 私たちの世代で中国に関心がある人種に二つの系列があります。一つは大陸から引き揚げて来た人達。もう一つは中学(旧制)の漢文の授業で親しみを持つようになった人種。私は後者に属します。加えて私、司馬遼太郎が好き。空海でしたか。この明州(寧波の古名)の港で上陸待ちしていた。そこへ年老いた禅僧が訪ねてきて「椎茸はないか」と聞く。今夜の菜に使いたいのだと。空海が「貴僧は寺で何をしている?」。「典座さ」。「そのお年で?」。「お主は禅の何たるかがわかっとらんな」。そのやりとりが頭に残っている。是非その港へ行ってみたい。

 寧波は上海からバスで3時間強。火車もありますが、こちらは何故か10時間もかかります。一体に中国ではバスの方が火車よりも早いのです。週末を利用して一人で出掛けました。行く前に、上師大に語学留学に来ている若者から、上海外語大卒で日本語が上手だという税関吏Qさんを紹介して貰いました。Qさんは自家用車を持っていて、あちらこちら案内してくださいました。
天一閣
 「歩き方」を見ればお分かりと思いますが、寧波は見る所が少ない。天一閣と天童寺くらいのものです。天童寺は遠いということで天一閣へ。状元になった人の書とかまあ古い石碑などがある博物館。そういう古い書画は面白くない。
状元庁
うだつ
 目を引かれたのは「河姆渡遺跡」の資料。この近くで発見された7000年前の人類の遺跡。既に米作をしていたとある。日本の米作の歴史は2000年かそこらでしょ。(資料は撮影禁止でした)
獅子像
 昨年、炭素測定方法の進歩とかで日本の米作の始まりが500年くらい遡ると発表され、考古学界は大騒ぎになった。それが正しいとしても3000年前まで行かない。この河姆渡遺跡から日本へ米作が伝播するのにどうして4000年も掛かったのかが不思議です。

 上左の写真は天一閣の「卯だつ」です。「うだつが上がらぬ」の語源。は壁の彫刻。今なら撮りませんが、そのときは感動して撮りました。

 食事はQさんのご案内で向陽漁港へ。そのときは水槽の多さにびっくりした。これも今なら撮りませんが。1階がこの水槽や料理のサンプル展示場。2階3階が食堂。大きいレストランですが満員。入っているお客の服装がいい。街も中心部はとても綺麗なんです。Qさんにそれを言ったら、やっぱり「寧波はお金持ちが多いですよ」という返事でした。そういえば昔、浙江財閥という名をよく聞いた。上海で財を成した人達。ここ寧波や紹興出身者が多いことからその名がついた。宋姉妹はこの財閥の出ですね。

 で、肝心の港ですが、町中の大きな川が即ち小型船の港なんです。遣唐使が着いたかも知れない場所には魚業監視船や、やや大きい漁船などが接岸していました。遣唐使についての記念碑などは何もありません。

 現在の貨物船はこんな川には入れない。車で1時間以上かかる河口に大型船の埠頭があるそうで、ここの輸出入量は中国沿岸部で第3位とか。丁度畳表の緊急輸入制限が発動されたときでした。Qさんに、畳表で作った自動車のシートに敷く尻当てをお土産に持って行かないか・・と言われました。業者が沢山呉れたのだと。日本向けの畳表は殆どここから輸出されていたのだそう。業者にとっては大打撃だったでしょうね。それから一生懸命国内向けの製品開発に努めた。尻当てもその一つかも知れません。(04.04.10記)
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