17.官庁に見る日葡の違い   エボラからリスボンに戻った翌日(310)、思い立って日本語教師の口を探すことにした。

 こういう事ってのは遠くからではどうにもならない。現地で探すのが一番手っ取り早いと経験上分かっている。折角現地に居るのだから今やらない手はない。ダメで元々だ。

 まず手始めにロッシオ駅近くのインフォメーションへ行った。半分門前払いを覚悟して行ったが、案に相違して真面目に受け止めてくれた。電話番号帳を調べ何回か電話して、最後は用件を伝えたのに5分待っても相手が出ないようだった。見兼ねて「自分で行く」と申し出た。係員はホッとしたようで、丁寧に地図を書いてくれた。場所は何とカンポ・ペケーノ。最初に泊まったホテルの近くだ。相手はリスボン市の教育関係の部署。

ジェロニモス修道院 (本文とは関係ありません)
 探し当てた所はちょっと見には普通のオフィスビル。日本の官庁のようにうるさいことは一切ない。受付に用件を言ったらアッサリあの部屋だと指差す。入った最初の机のおばちゃんに用件言ったら「ポルトガル語できるか?」と聞かれる。ダメ。「英語は?」。少し。おばちゃん肩をすくめて何人か先の紳士の所へ案内してくれ、ちょっと待ってろと言う。紳士は来客中。広い室内を見渡すと人が5人。みんな大きな机とパソコンを持っている。皆さん電話に応対したりパソコン覗いたりして仕事しているが、何となくのんびりゆったりした雰囲気だ。

来客が帰って紳士に呼ばれた。用件は「リスボンの日本語教育機関について情報が欲しい」。すると紳士は「日本大使館が適当だと思うが」と言いながら、それでも奥の書棚からパンフレットを出して来て、一つは現物を一つは別室へ行ってコピーしてくれ、二つの大学と幾つかの語学校に○を付け、「ここに行ってご覧なさい」と教えてくれた。応対は終始一貫低い声で穏やかな口調。「オブリガート」と礼を言ったら、「アリガトウゴザイマス」と返された。なんだか1枚も2枚も役者が違うという感じがした。

大学も語学校もアドレスや電話番号が書いてあるが、これを一々訪ねるだけの時間は無い。さっきの紳士の言葉がよいヒントになった。日本大使館に行くことにする。ガイドブック記載の場所の辺りで日章旗が正面にはためいている建物があった。「あれだあれだ」と喜んで入って行ったが、どうも様子がおかしい。一室に入って尋ねたら、若い男性だったけど「日本大使館ならあっちだ」と表まで出て教えてくれた。日章旗だと見たのは別の旗だった。

日本大使館は大きなオフィスビルの5階に入っている。日章旗は掛かっていない。入館するのに一苦労。まず、インターホンで用件を。

1.下の門衛に許可証貰って来い。
2.貰ってきたよ。
3.担当者は今会議中だが待つか? 
4.待つよ。
5.ではガードマンのチェックを受けて文化部の部屋まで来なさい。
6.ガードマンに全身チェックされ、カメラは取り上げられた。テロ対策なのか何か知らないが、これが自国の納税者にする仕打ちか。
7.文化部の窓口では日本語上手なポルトガル女性が出てきて、「担当者はただ今大使と会議中です。お待ちになりますか?」。はい待ちます。
8.暫くするとまた出て来て、「申し訳ありません。まだ会議中です。お待ちになりますか?これが3回繰り返された。丁寧も度が過ぎると、何だか馬鹿にされているような気がする。

やっと現れた担当者は若い女性。上記の顛末を告げ、ポルトガル全体の日本語学習需要について知りたいと来意を述べる。統計上、日本語学習者は500人程度だそうだ。日本語クラスを持っているのはリスボンのナントカ大学とコインブラ大学の二つだけ。どちらもポルトガル人と結婚した日本人女性が教えている。殆ど無給である。ネイティブの教師が欲しいという大学はある。しかし金が無くて、日本大使館でできたら資金援助をして欲しいと言っている。それはブラガのミーニョ大学です。それに対して、小生としては「ボランティア(無給)で赴任する意志は無い」とハッキリ言った。それはこちらの欲の問題ではない。善意必ずしもいい結果を生むとは限らない。それが過去の経験で身に沁みている。

彼女は三等書記官。外交官に成り立て。初めての海外赴任だそう。一応履歴書を送れと言うので送ることを約して辞去。帰国後すぐメールで履歴書を送り、三等書記官殿から受け取ったこととブラガのミーニョ大学へ取り次ぐ旨の返事が来たが、ミーニョ大学からは現在まで何の音沙汰も無い。こちらもそんなにうまく行くわけないと思っていたから、別に失望もしていない。完全ボランティアなら口はあることが分かっただけでも収穫だった。

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