18.どちらが幸せ? S兄 長々とお付き合いくださりどうも有り難う。今日でお終いです。最後に「まとめ」を一言。

ポルトガルを一言で評すると「美しい」ということかな。そして、風光も人も穏やかな感じだ。人が穏やかなのは人口が少ないせいもあるだろうが、元々農業国で人々の気質が柔らかなのではあるまいか。

サン・ジョルジェ城からテージョ川を望む メルシオ広場。ドン・ジョゼ一世像

 欧州で最初に勃興したのはハンザ同盟の都市国家群だった。商業で栄えた。次いで産業革命がイギリスで起こる。

 ポルトガルは海洋国家の王座から滑り落ちた。アジアでも後発のオランダやイギリスが広大な植民地を獲得したのに、ポルトガルは僅かにマカオとチモール島を押さえたに過ぎない。日本に取り付いたのは一番だったが、これも九州で大名の治世に口を出すような強引な布教が祟って放逐されるに至る。尤も日本に布教に来たのはイエズス会だ。イエズス会はローマ教皇の命で布教に赴いた。だから、ポルトガルそのものではない。ポルトガルは単に渡航の便を提供したに過ぎないのだが。まぁ兎に角、こういう歴史から小生の見るところ、ポルトガル人には組織力や計画性が欠けているんじゃないかという気がする。商業も工業も組織力が必要だし、先見性も必要だ。その辺が弱いんじゃないか。

第二次世界大戦ではこの国は中立国だった。強いて戦わなくてはならない事情もなかったんだろうが、子供格のブラジルは戦火の中心から離れているのに参戦した。利に敏感だった。どうもポルトガル人は欲が無く、同時に争いが好きではないように見える。サラザール政権を倒したときも無血革命だった。何はともあれ穏やかなことはいいことだけれども、国に活気が無い。若者にとって仕事が無いことは辛い。だから、若者は外国へ出稼ぎに行く。国に残っているのは老人と子供だけということになる。

しかし・・・ですよ。日本みたいに闇雲に働いてGDP世界第二位になったはいいけれど、物価が高過ぎて普通の外国人にはとても寄り付けない国になった。それが果たして幸せと言えますか。小生日本の自然の美しさは世界に冠たるものだと信じていたけれど、しかし近頃は全土砂防ダムや干拓堰堤、テトラポットや本四架橋。コンクリートに覆われて昔の面影は無い。国民の家はどうなの? OECDの報告書でウサギ小屋だなんて馬鹿にされている。国の財政は惨憺たる状況なのに、馬鹿の一つ覚えに諸外国にわけのわからん金をばら撒き、毟られている。それでいて尊敬もされない。

無駄な公共投資の見直しが叫ばれ出して久しい。しかし地方は公共投資を削減されたら生きていけないと言う。ならば荒れ果てた山林/原野の保全保護に資金を投入すべき。末期徳川政権は無能の塊のように言われている。しかし、明治新政権が天領を接収したとき、その山林管理の完璧に驚いたという。明治新政府も山林保護の精神を引き継いだ。豊葦原の瑞穂の国は大元に豊かな樹林あってこそのもの。コンクリートで治水治山が出来ると考えるのは錯覚に過ぎない。今や我が国は中央官僚、族議員、土建屋三位一体の癒着国家と化している。彼らの頭に国家百年の大計なんて意識はかけらもない。地方のことは地方に考えさせ、決めさせるのが国民主権の精神に叶う。

何も大きくならんでもいい。GDPの順位なんてどうでもよろしい。安全保障常任理事国なんかならんでもええ。収支相償う財政を維持して他所様に迷惑掛けず、他所様にたかられもせず、生産管理や公害克服などの知恵なら教えて進ぜる。そして、人みな穏やかに暮せればそれが一番じゃないかと小生思うんですけれど、如何なものでありましょうか。

参考までにGDP比較(2001)をしてみましょう。

GDP 一人当たりGDP
  本  (世界2)  41.757億ドル (世界5)  32,851ドル
ポルトガル(世界23)  1.098億ドル (世界23)  10,958ドル

この数字とは裏腹に、ポルトガルの方が日本よりも豊かであるように小生は感じました。

 <旅行の日程などについて>

全土隈なく見て回ろうとすれば、それは決して不可能ではなかった。だが、それだとかなり忙しくなる。だから適当に、と言うと尤もらしいが、実感としてはチャランポランに回りました。ガイドブックも碌に読まなかったから、いい所を見落としたりバスが無くて困ったり、そういう失敗も多かったね。これは反省点です。

何回も書いたことだけれど、荷物は減らさなくてはいけない。そうでないと移動が大変だ。思い切って減らせば結構荷は小さくなるものだ。携行する着替えなどは最低限度にして、2泊する宿で洗濯すればいい。今回荷が大きくなった原因には、「(現地は)寒いだろう」ということがあった。実際行ってみたら、2月中は雨ばかりだったしそこそこ寒くて、持って行ったダウンのハーフコートが役に立った。しかし3月に入った途端天候が良くなり、日中は暑いくらいになった。結果論だが、3月出発にすれば、冬のコートは要らなかった。それだけで随分荷が減る。

 反対に持って行かなくて失敗だったもの。湯沸かし器。ペンサオは勿論、三星のホテルにも置いてなかった。中国なら一つ星でもあるのにな。

言葉については殆ど問題ありませんでした。買い物や食事なんか大抵身振り手振りで分かる。駅なんかで時間などを聞くときは英語で用が足りる。それも片言程度で十分。小生の英語がそうだもの。今回覚えたポルトガル語は僅かに二語だけ。Obrigado(有難う)。もう一つ。Quanto custa?(いくら?)

最後に、ポルトガルで毎日気をつけなくてはいけないこと。道を歩くとき常に足元に注意。地雷(犬の糞)が多い。

でも、いつかもう一度行きたい国です。永住してもいいかなと思う。しかし、帰国後こんな記事を見た。

 文芸春秋3月特別号 (81巻第3) 葦の髄から71 (←巻頭の随筆欄です)

「私の異国行脚」 鈴木れいこ(エッセイスト)

「・・前略・・・。海外の旅を重ねていると、ふと考えさせられることにしばしば出会う。永住を目的にした日本人夫婦にポルトガルの片隅で世話になったことがある。一切の拠り所を祖国に絶った夫妻の、齢と共に募る望郷の念は傍で見るのも切ない程だった。老いが連れてくる身体的な不都合を考えれば、たまの祖国との往来が楽な国を選んだ方がいいのではないかとその時思った。しかし近いからといって、先進国に追いつけ、追い越せを目標に頑張る国は、かつて日本が陥った環境問題にも追いついてくる訳だから、安全な環境が約束されている訳でもないだろう。住みつく土地の選択は本当に難しい。・・・後略・・・」

ウーン! 「齢と共に募る望郷の念」というのが、もう今から分かるような気がする。

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