4.テージョ川 S兄 やっと時差ボケが取れた感じがする。ボチボチと書き始めます。

 一国の首都というものは大抵の場合、平野部にある。ところがこのリスボンはそうではない。テージョ川に向かって雪崩落ちる丘陵にしがみ付いている。当然のことながら、こんな土地が住民が歩くことや荷物の運搬などに便利なわけがない。にも拘らず、なんでこんな所に都市ができたのか。

 テージョ川の川口は広い。おそらくポルトガル一でしょう。数万トンの大型船が出入りできます。その広さがまた一風変わっていて、海から遠い奥の方が広い。川の上流を食道とすると、胃袋があってまた腸になり、大西洋に流れ出る。その十二指腸の辺りにリスボンがある。船泊まりとして好適地。その昔フェニキュア人が発見し、交易の拠点としたのがこの町の始まりだというのも頷ける話です。

何でも乗れる一日券というのを買って、手始めに広場近くの展望台に登る。エレベーターで上がるんです。このSanta Justa展望台は、旧市街の小さな横丁の奥という妙な所にある。普通こういうものは市中心の近くに作りますよね。何で奥まっているかというと、元来これはその背後の丘の住宅地に上がる為に作ったエレベーターなんです。展望台はおまけ。今はエレベーターから丘への架け橋部分を修理中で、通路として使っていないという。

 上がって周囲を見渡すと、リスボン旧市街とテージョ川がほぼ一望できます。東西に丘がありその間は北から南に向かって狭い谷。その南の外れが僅かに平らで碁盤状の街区。その川岸がComercio広場。ここが海からの玄関口。東西に控える丘の傾斜はなかなか急です。これを歩いて登るのは容易じゃない。だから、このエレベーターの他に、ケーブルカーが3線あります。また路面電車も昔はかなり走っていたらしい。しかし今は4路線しかない。我々はこのうちケーブルカー2線と、路面電車3路線に乗りました。

Santa Justa展望台 展望台からテージョ川を望む

 展望台のあとは路電15線に乗ってJeronimos修道院へ。他の路線は古い小さいチンチン電車を使っている。だがこのE-15だけは2両連結のモダンな車両です。威風堂々たるもの。何故かと言うと、これは川沿いの平らで広い道路を走っているから。他の路線は「よくもまぁこんな所を走れるもんだ!」と呆れるような狭い道を走っています。どれくらい狭いかと言うと、窓から手を出せば民家の洗濯物が掴めるくらい。

 電車は川沿いに河口に向かって走る。周りは古い倉庫や住宅と会社の混在地。場末という感じ。かなり走った。Jeronimos修道院は大きいからすぐ分かる。まん前の停留所で下車。大きいと言ってもミラノ大聖堂やベニスのサンマルコと違って背が高くない。横に長いのです。だから威圧される感じがない。それがよろしい。入って天井を見上げると、装飾は絵ではなく格子状の模様。アラブの影響か。これもまたよい。イタリアではどこもかしこも宗教画ばかり。これでもかと見せられてウンザリした。ここは入場料も取らない。益々よろしい。

 修道院の前が大きな公園。そこを横切り川岸に出ると、有名な「発見のモニュメント」が立っている。エンリケ航海王子が船首に立つ帆船を模したもの。大航海時代を切り開いたという誇りをそこに込めたのでしょう。周囲はコンクリートの護岸でサッパリと整備されています。すぐ近くにモダンアートの美術館があった。1キロほど下流に「ベレンの塔」が見える。

 司馬遼太郎の「南蛮のみちII」にこの辺り(ベレン地区)の記述があります。修道院はアジアから持ち帰った胡椒の利益で作ったものだとか。胡椒は現代で言うとダイヤモンドに匹敵する価値があったんですね。

 対岸にコンテナヤードが見えます。でもクレーンは10本もない。申し訳程度という感じ。この国の経済規模はその程度と暗示しているようだ。少し上流に目を転じると、先ほどくぐって来た425日橋というテージョ川に架かる巨大な橋が見えます。全長2000米はありそう。元は独裁者の名を取ってサラザール橋。今はその独裁者を倒した無血革命の日を記念する名になっている。この橋はポルトガルが自力で作ったのだろうか? この国に入ってまだ二日目だが、どうも近代工業と言えるほどのものはこの国には無さそうな感じがする。

 ベレンの塔には行きませんでした。後でガイドブックを見たら、ここは昔はテージョ川に入ってくる船の見張り所で1階が水牢、2階は砲台、3階が王族の住まいだったと書いてある。それなら「発見のモニュメント」なんかよりずっと見る価値があった。失敗だった。事前にガイドブック読まなかった咎めのこれは二つ目。

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