07.01.24 三っの銅像
ニ・アル
聶耳(ニ.アル)。
中華人民共和国国歌作曲者。

 郊外のIT企業へ出張授業に行くバスの中からチラッと見えた。それで休みの日、散歩がてらに出掛けて行って撮影しました。復興西路、准海中路、ウルムチ北路に挟まれた三角公園に立っています。

 礎石に「1912〜1935」とあります。僅か23年しか生きなかったんですね。実はこの人、国民党の弾圧を逃れて亡命中、藤沢市鵠沼海岸で水死した。当時(水死は)国民党特務の仕業ではないかとの憶測もあったとか。在日華僑が現地に慰霊碑を建てた。碑は今も地元の人に大切に守られています。

 この人は雲南師範出身の音楽家。映画の中の行進曲を頼まれて作曲した。この曲が多くの人々を感動させた。新中国建国後国歌を制定する段になってこの映画を見た人たちの記憶の中から蘇り、「あれがいい」と強く支持され、一部編曲されて国歌になったのだそうです。 
田漢
田漢簡介
田漢が昔住んでいた所
 作曲者の銅像を載せるなら作詞者田漢の銅像も載せなくちゃ・・・ということで、ちょっと足を伸ばして撮ってきました。こちらはニ・アルの銅像から准海中路を人民公園方向に向かって常熟路地鉄站を過ぎ、暫く行って左側東湖路に入る。東湖賓館の裏手。長楽路、富民路、東湖路に囲まれた三角公園にあります。どちらも小さい三角公園にあるのは多分、市の公園課の誰かが「公園としては中途半端だなぁ。そうだ! 銅像を建てよう」と思い付いたからでしょう。
 (注)三路の名前は井上@打浦橋さんに教えていただきました。


 この人は礎石に新文芸運動家、詩人と書いてある。確か日本に留学(東京師範)した。後に中国で初めて近代演劇を始めた夏氏と知り合い、彼のために脚本も書いたのではなかったかな? 亡くなったのは1968年。文化人は階級の敵とされた文革の真っ最中。彼もかなり迫害されたのではないか。
(注)これを書いた後で北海閑人著「中国共産党がひた隠しに隠す毛澤東の真実」を読みました。やはり紅衛兵に「階級の敵」と殴打され病院に担ぎ込まれたが、病院が治療しなかったためその場で息を引き取ったとありました。
 
 上の写真右端は彼がかつて住んでいた所です。私の宿の対面。1920年頃の建築ですから見るからにぼろっちいですが、当時はモダンな住宅だったのでしょう。今は更地になり、夜を徹して大ショッピングモールの基礎工事が行われています。3年後にはこの徐家匯路の下を地鉄が通るんだそうです。ここに打浦路站ができるでしょう。
陳毅
 外灘にある陳毅の銅像。軍人出身で元帥。建国後最初の上海市長。後に外交部長も務めた。文革に公然と反対。為に毛さんにひどい迫害を受けたが屈しなかった。1972年病を得て死亡。死は公表されなかった。けれども伝え聞いて多くの人々が別れを惜しみ、病院の前に集まった。
 人々の間には彼の死を悲しむ気持ちと共に、かつて盟友として共に戦った同志を虫けらのように扱う者への怒りが漲っていた。それを感じ取った毛さんは出る気がなかった葬儀に急遽参列。「彼をこんな目に合わせたのは林彪だ」と死人に罪をなすりつけたそうです。以上陳毅の項は、井上さんにお借りしたユン・チアン著「マオ」下巻からの抜粋です。
 (注)この場所には英国公使パークスの銅像があったのだそうですが、日本軍が壊してしまったのだとか。これも井上さんに伺いました。

 ニ・アルは早く死んで良かったのかも知れない。文革の惨を見ないで済んだ。そしてあの国歌がある限り、彼の名は残る。

  お友達ChinaArtさんからコメントをいただきました。

 ニェアルさんですよね。日本では、彼の事を「ニアル」と呼ぶのでしょうか? スレには関係ないですが、聶の音の違いが出たので一寸語ります。

 どうも日本人の中国語ヒヤリングには、微妙な誤差があるみたいです。と言うか、余韻の音を聞き取れていないのでしょうね。

 中国語のポイントは、語尾に付く微妙な音、「g」「ng」「e」「r」などの、余韻のような音(息使い&舌使い&腹筋使い?)ですからね。これが仮名で表示出来ないのも痛いですが、せめて耳では聞き取れるようにならないのかなぁ・・・と日頃から思っています(自分も含めて)。

 英語を綺麗に話す日本人は多いのに、発声の綺麗な中国語を話す人が少ないのも、こう言った「誤差」(?何て表現したら良いのかな)が原因しているのでしょうか。

 (ニェ[nie]:繁体字は聶(日本語のささやく(囁)の口ヘンがない字)、簡体字は耳の下に双。アル[er]:耳。合計「4つの耳」さんですね。)

 この余韻もそうですが、同音の単語が出た場合はどうするんでしょうね。別の意味で受け取ったら、意味が全然わからないのも多いのに。。。<例> ビエ・シャンハイ・ウオと言われて、何だと思いますか?

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