01.04.11. 成都行夜行列車
上海駅ホーム
上海火車站ホーム。乗車するときは、なるべく手摺りを掴まないように。トイレは垂れ流し式ですから。

 当時(01年04月)は上海師範大学で教鞭をとっていました。文中のA氏は今、私と同じML/Chinatripに参加しておられます。なお、タイトルの日付は旅行日です。


 4月11日上海発23:32成都行きK290に乗ることにしました。前売りは1週間前の4月4日。近くの集票処で徐州までの軟臥を申し込み、すぐに買えました。下舗で254元。手数料5元。帰りの泰山→上海の予約も申し込みましたが、「それはできない」ということでした。このML上で、往復買えるコンピューターシステムができたと聞いたような記憶がウッスラとあるのですが、それは記憶違いだったのか。結局帰りのチケットは、中国人の友人の友人が済南の旅行社に勤めているので、その人に頼んで買ってもらうことにしました。その為、泰山から済南まで足を伸ばすことになりました。

 出発日。我々のコンパートメントに着いたら、同室の中国人が二人がかりで大きい荷物を棚に積み込み中。いつも感じるんですけど、ホント中国の人は旅行のとき、引越しと見間違うほど大荷物を持って歩く。何故だろう? 席に落ち着いてから聞いた話。年嵩で小柄の方は台胞(台湾同胞)。若くて体格がいい方は出張から帰る徐州人でした。荷物はその台胞のもの。おそらく里帰りなのでしょう。

 若い方は酔っ払っていて、なんだかんだと話しかけてくる。息が酒くさい。これは白酒だな。36歳で警官だという。それなら今夜は安心して眠れる。だがしかし、酔っ払っているからしつこい。相手をするのは相棒のA氏にお任せして、当方はサッサとベッドへ。A氏は64歳で中国語の勉強に来ている紳士。お勉強には丁度いいのでは。(写真)軟臥コンパートメント内部。
軟臥室内

 寝てみると、日本の車両より大きいのにかなり小刻みに揺れる。車両の設計上の問題か保線の問題か、素人には分からない。一つ感心したのは、列車員の小姐がチケットをアルミのナンバープレートに換えて寄越す。小姐はチケットを手元に置いて、客の下車駅が近付いたら起こす仕掛けになっているんですね。

 朝、長い停車で目が覚めた。時計を見ると5時半。中国の火車站は駅名表示が極端に少ない(一駅一枚くらい)から、どこだか分からず。発車して暫くしたら、大きい川を渡った。流れは川幅の3分の1くらいしかない。渇水期だからか、それとも問題の砂漠化のせいか。後で時刻表から調べたところ、どうもここは[豊圭]埠だったようです。目を覚ましたA氏と話す。昨夜は若い方と1時くらいまで話した由。夜中に何回か目を覚ましたが、台胞のおじさんはベッドに座っていて殆ど寝ていないようだったとのこと。興奮して眠れなかったのだろうか。

 徐州が近付き、台胞のおじさんは何回もかけて荷物をデッキに運ぶ。一遍に持てないのです。こんな小柄な人がこんな大荷物を、上海までどうやって持って来たんだろう?

 ヒョイと思い付いて、若い方に「徐州の漢墓に行きたいが、タクシーチャーターするのが得策かどうか」と聞いてみました。そしたら、「午前中は暇だから案内するよ」と言う。変な警官です。

 定時に到着。ホームに下りたら、台胞さんは山のような荷物の横に凝然と立っている。我々が「手伝うよ」と言うと、「(誰かに)電話するからいい」と遠慮する。ンなこと言ったって、そこら辺に電話なんか見当たらないじゃないか。電話しに行っている間に荷物が消えちゃうよ。そこへ荷物運びの男どもが寄って来た。1個10元で運ぶと言う。台胞さん断固として断る。埒があかないから、小生勝手に彼の大袋を引ったくり、ドンドン歩き出した。A氏も警官氏もそれぞれ両手に持てるだけ持って上げて、最後の大鞄は台胞さんが引っ張り、アヒルの行列よろしくゾロゾロと改札口へ。内心は兎も角、表面上飽くまでも遠慮する点で、中国人と日本人は似ていますね。

 外へ出たら、やたら客引きが寄ってくる。警官氏我々に、「あいつらと口を利くな」と言う。「外国人と分かったら奴等吹っかけるから」ということ。正規のタクシー乗り場まで行って、台胞氏と荷物を載せサヨナラ。台胞氏別れしな、日本語で「アリガトウ」と言ってくれました。

 何十年ぶり何年ぶりの里帰りか分からんけれど、かなり興奮・緊張気味の台胞氏をタクシーに乗せたところで、サテ朝飯にしましょう。徐州警官氏(平服です)の後ろについて駅近くの飯店へ。薄暗いガランとした餐庁で、お粥と餃子その他の朝食。お粥は三種類。小豆粥、ただの米粥、皮蛋痩肉粥。私はこの皮蛋粥が大好き。三度三度これでもよいくらい。日本に帰ったら三度三度うまい寿司が食いたい。おっと脱線。警官氏は小豆粥。勘定は僕達が払うと言うのに、警官氏「ここは徐州だから」と勘定書きをひったくって払ってしまう。警官の給料で大丈夫なのかな?

 「漢墓に行く前にホテルを決めたらどうだ」と警官氏。そこでこのMLのsakuraiさんに伺った「金花賓館」を考えていると言ったら、即座に「あんなとこダメ」と言う。何だか分からんけれど、なんせ相手は警官。街の事情には通じている筈。「じゃあんたにお任せ」ということでタクシーに。 

 南郊賓館に向かう。街は埃っぽい感じ。路傍の建物が低くなってきたところで南郊賓館着。広い庭付きのホテル。警官氏、友人を呼び出して交渉。建て値680だか580だかを320元にした。そこまではよかったが、相棒のA氏が居留証を忘れてきた為に、宿泊を拒絶される。A氏携行した学生証で「7月末日まで在学と書いてあるだろ」と粘る。警官氏も熱弁を振るうがホテル側はマネージャーも出て来て、頑として応じない。結局断念。この後街中に戻り、漢都大飯店に警官氏の名義、310元(朝食付き)で投宿。私の感覚では、ここのホテル相場は上海より高い。

漢墓
 再びタクシーに乗り漢墓へ。漢墓は二つあるのだそうです。我々は亀山公園の方へ行った。街の西北方向。タクシー代は20元ちょっとでした。入園料が25元。正確に言うと漢墓が20元。付設の経旨博物館(清朝歴代皇帝の詔書を展示してある)が5元。(写真:李氏とA氏。漢墓前で)
副葬品
 漢墓は見応えがありました。小規模だけれども精巧に出来ている。古代既にこれだけの土木技術があったのかと感心させられます。説明者が付く。ただし,オール中国語。経旨博物館はカットするべきでした。どうということなかった。
(写真左と下:漢墓内の副葬品)
 公園入口に屯すタクシーを拾って雲龍山へ。ちょっとした小山。市街の半分くらいが見渡せる。入園料5元。中腹で昔懐かしい蛇男/蛇女の怪しげな見世物やっていたよ。てっぺんにお寺/大仏あり。ここの入場料が4元。金額は小さいが、ダブルで取られるのが不愉快。最初に9元とすると入る客がいなくなるからか?

 このとき11時半。警官氏、午後2時に用事があると言う。何の用事か聞いたら「集金だ」と。警官が集金? もしかして「みかじめ料?」。ホテルに帰って、海鮮・粤之都で食事。食事しながら「あんたいつ警官の仕事するの?」と質問。初め怪訝な顔をしていたが、「警官はもう辞めた。今は商売している」。やっと誤解に気が付いた。道理でね。上海に出張した翌日、半日も暇なんておかしいものね。

 警官の給料は月たった1千元。やってられない。そりゃそうだろう。「で今は?」。答えは「好○万元」。明日は西安に支店オープンの為出張すると言う。景気がいいらしい。因みに、扱い商品は「フローリング」ということでした。なお、昼飯代はまた彼がもつと言うのを、やっと払わせてもらいました。

 明日の泰山までの火車票を警官氏、もとい李氏に手配してもらう。明日朝また来るよという李氏を見送り、昼寝。その前に、電話線の元を手繰って点検しました。モジュラージャック式でありました。パソコン持ってくるんだった。なお、部屋はかなり広かったです。

 2時半起床。徐州博物館に行く。これは雲龍山の対面。見応えありました。一地方都市のものとはとても思えない。入場料は20元。A氏、学生証持ってるから学割があるのではと期待していたが、残念ながら「身長1.何センチ以下は半額」としか書いてなかった。もし学割があったとしてもA氏は白髪。信用されないのでは? 

 夕方6時、徐州師範大学本部正門で日本人の知り合いと落ち合う。他に4人、全徐州在住日本人が集まっていて、さながら日本人会。うち二人が合弁企業の方。全聚徳でご馳走になってしまいました。「日本人が来るなんて珍しいんです」とのことでした。

 徐州は歴史上何回も大会戦があった所。我々馴染みの歌「徐州徐州と人馬は進む」も、その会戦の一つに因むもの。尤も実際には日本軍が到達したときはもぬけの殻で、大規模な戦闘にはならなかったのだそうです。行って見るとよく分かります。ここは守るには適していない地形。周囲は平野です。だからかどうか、街には城壁など見当たらなかった。昔はあったのかも知れないけれど。いずれにせよ、要害の地ではないんですね。しかし、交通の要衝。今でも鉄道幹線がここで交差している。西すれば洛陽、西安。東すれば蓮雲港で黄海に達する。北上して天津、北京。南下して南京、上海に至る。

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