01.05.31  紹興石仏寺

 「いよいよ」と言うべきか「やっと」と言うべきか、旅行記これが最後です。

 日程表によれば、百丈飛瀑を午後一時に出発することになっている。しかしどういうわけか、ガイドは悠々と飯食っていて、出発はなんと2時過ぎ。

 ここから紹興までの道が凄かった。山間部を走る間道のような道。一応舗装はされているのだが、道幅が狭く、向こうからバスが来ると場所によっては擦れ違えない。更にはカーブで対向車と何度も衝突しそうになったり、かなりスリリングな走行でした。一体に中国人は飛ばします。自家用車ならそれも分からんではないが、バスも飛ばす。だから、日本人旅行者がバス事故で死ぬことが多い。これじゃ無理もないナと、ちょっと怖かったですね。

 この前も書いたけれど、道々周囲の植生を見ていると、ホントに日本のそれに似ている。大昔、この辺に住んでいた人達が、ここの草木の種を持って日本に渡って来たのではないのか?と思えるくらい。強いて違いを言えば、自然林の場合、日本の方が照葉樹が多いかな。やはり、日本は降雨量が多いということなんでしょうね。

 急に話が飛躍するけど今、日本の山林は荒れている。植林した後の手入れがされていない。そういう山は保水力がない。片方では、営林署が国有林を切りまくる。国が自然破壊を率先してやっているようなもの。必ずしっぺ返しが来る。恐ろしいことだ。

 いつの間にかまた眠ってしまった。やっぱり年寄りですね。睡眠サイクルが短くなっている。とは言うものの、何度も急ブレーキや急カーブで目が覚める。なんだか小さな山を何度も越えたようでした。

 やっと平地に出てからも長かったな、紹興の町までが。山と平地の際で既に紹興市と看板などに見えるんだが、中国の市という名称には日本の県に当たるのと、市に当たるのと二つの種類がある。見かけたのがどっちの市だか分からんけれど、兎に角地図で見ると小さな町でも、行ってみると区域は広い。

 平地は殆どが水田か畑。水田は古株に芽が出ているところが多かった。今は田植えシーズン。あちこちで昔懐かしい人手の田植え風景を見かけたのにここではやっていない。中国でも所によっては減反政策があるのかな。

 昨日走った町々でもそうだったが、田舎では自転車よりもスクーターが多い。勾配やら距離やらがあって、自転車ではしんどい。勢い買える人はみんな、動力車を買うんでしょう。別の見方をすれば、この辺はそれだけ豊かだとも言える。

 やっと紹興の町に入ったかと思ったら、町は素通り。小生の動物的カンでは、海の方向に向かって走っている。周囲には水田や小さな池が次第に増える。この辺りは、旅行パンフなんかでは水郷ということになっている。バスで走った限りでは、それらしい所は見えなかったけれど。午後の5時前、目的地石仏寺に到着。
石仏
 石山に洞穴を掘って、その中に大仏が一体刻まれている。隋代のものだとか。横にお寺がある。読経の唱和が聞えるから覗いたら、僧と有髪の尼さん数人が唱えていた。有髪の尼って聞いたことが無い。するとあれは在家信者だったか。 (この像は洞穴一杯に彫ってあってとても大きい。レンズに入り切りませんでした)
 この前の貴兄の質問。葬式と仏教の関係。学生に聞いてみたら、仏教信者の家では葬式に僧を呼ぶそうです。四十九日みたいなこともするらしい。しかし、そもそも仏教信者が少ないとか。また法事をそこまで丁寧にする家は上海では少ないようで、「田舎ではありますよ」と言っていた。また、お墓がない。どうするんだと聞いたら、田舎に帰るんだと。つまり先祖の墓に入るのだとか。それかまたは、最近では、骨を海に撒くのも公認で行われている。そういう話をしていたら、横から「宗教は迷信ですよ」と茶々を入れる学生もいたりする。共産党は法輪功弾圧に躍起になっている。学生がそういうことを言うのも、執拗なキャンペーンの影響ですね。
石仏寺一
 写真を見ていただくと分かるけれど、寺の横に池がある。元は岩山だったとガイドは言う。紹興は水郷。橋を架ける必要から、その岩は次第に切り取られて、すっかり無くなってしまった。その跡が池だと。このお寺はケバケバしくなくまた、訪れる人も少なそうで、私の好みでした。
石仏寺二
 日程表ではここを3時出発となっているが、実際に離れたのはもう既に5時を回った時刻。一路ノンストップで上海へ。上海帰着は8時半でした。無事に帰って来られてよかった。

 長々とお付き合いくださり、どうも有り難う。帰国したら、お礼においしい紹興酒一本持って行きます。  それでは。
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