04.01.05  五里橋を渡る


水頭鎮側
水頭鎮側の橋入り口前。横断に危険を感じるほど車の往来が激しい。
水頭鎮側入り口
橋入り口の門。変な奴がいるとばかり、通行人が振り返って見ている。

    教え子にこの橋の故事来歴を調べてもらいました。その教え子陳凱郷君が中国語サイトから翻訳して
   くれた紹介文を下に添えてありますのでご覧ください。


 この前、短信の40で五里橋をご紹介しました。このときは対岸まで渡る時間が無くて、橋の途中から引き返しました。なんとも残念。そこで12月18日、完全渡橋を果たすべく再度出掛けました。前次は晋江市側から入った。そこで今次は南安市側から入ることに。

 いきなり愚痴になりますが、近頃思考回路が短絡化したというのかそれとも感覚が中国風になっちゃったのか、何かするときの事前準備がいい加減になった。だから失敗が多い。今度もそう。単純に南安行きのバスに乗って、目的地水頭鎮付近で降りればいいと考え、バス站へ行って「南安直達」に乗った。直達を選んだのは、家内が「やたらに止まるバスは嫌だ」と言うから。この前泉州に行ったとき、一般道を走ってやたら客を拾うバスに辟易したんです。直達なら要所でしか止まらない。

 何が失敗か。同安という町を抜けたら、バスは山の方へ入って行く。目的地は海の近くですから、それじゃ遠ざかることになる。慌てて地図を取り出し眺めた。南安市というのは南北に長い。そして中心の南安市街は北の山の中にある。バスはそこへ向かっている。直達に乗ってはいけなかったんです。泉州行きの一般道を走るバスに乗るべきだった。「アイヤー!」と腹の中で叫んでも、もう遅かりし内蔵助。このまま乗って行くしかない。

 それにしてもおかしい。地図には同安から南安市街区へ抜ける道路はない。走っている道は最近開通したらしく、造りが新しい。そのうちに工事区域に入った。山を切り開き田畑を埋めている。舗装は無し。凄い凸凹道をおよそ3里ほど、首が折れそうなくらい激しく揺られて走りました。一度はバスが横転するかと思った。家内と「金払って遊園地へ行くことないな」と苦笑した。まるでロデオのようでした。

 やっと着いた南安市街から、今度はミニバスで水頭鎮へ南東に走る。結局のところ三角形の二辺を走り、約2時間のロスでした。バスを降りるとすぐバイクタクシーが寄って来る。「五里橋」と言ったら「3元。二人なら4元」と言う。馬鹿に安い。こいつは正直者だと思った。いやいや、乗ったらすぐに理由が分った。ちょっと走っただけですぐ橋の入り口に着いた。歩いて10分かそこらの距離。4元でも高いけど、これはもう土地不案内だから仕方がない。バイクの後ろに家内と二人で乗りましたが、家内が怖いとかナントカ愚図らなかったのが収穫。この前の安渓での学習効果が出ましたね。

 橋入り口には小型の城門のような門がある。その手前が巾6米くらいの道路。車がひっきりなしに通る。この辺は工業地帯。看板や煙突から察するに、どうも窯業が盛んなようでした。煉瓦、タイル関係ですね。橋は思ったよりも短かった。この前引き返した地点は、そのときは全長の3分の1にも達していないと思っていましたが、実は丁度半分のところ。私の目測の誤りでした。
水頭鎮寄りから泗水亭を見る
水頭鎮寄りから泗水亭を見る。
亭の一つ
亭の一つ。確かこれは泗水亭よりも西(水頭鎮)寄り。

 泗水亭では、この前ここで泳いでいた老人二人に再会。向こうも覚えていて暫し歓談。年を聞いたら私とほぼ同じか少し下。向こうは私を40代だと言う。いくら何でもそれは若く見過ぎ。「あんたと大体同じだ」と言ったら、「日本は長寿国だそうだな」と言う。医食同源の国の老人からそんなこと言われると妙な気がする。でも確かにそうなんですね。女性86歳男性77歳でしたっけ?  私はその年齢まであと7年。やりたいことは急いでやっとかなくちゃ。でもまだ行きたくて行ってない国が沢山ある。こんな所でいつまでも教師やっとっていいのか。これは難しい問題です。

 以下は、教え子が中国語のサイトから引き出して翻訳してくれた橋の紹介文です。文章が少し変ですが、完全な誤りの部分だけ直し、あとはそのままにしました。

<五里橋>
 俗称は「安平橋」である。晋江の安海鎮と南安水頭鎮の間の入江に横たわる。宋紹興8年(1138年)に建てられた。13年かかった。花崗岩でたてられた石の橋脚、石の橋梁の橋である。我が国の古代で有名な長い橋である。「天下無橋長比橋」とほめられている。国内外で有名である。中国国務院で全国重点文物保護単位として認められている。橋の長さは2,255米であり方形、舟形、半舟形の橋脚が361個あり、橋巾は3から3.8米であり、1枚の板の長さは5米から13米のもあり、一番重いのは25頓もある。両側には石の手摺がある。橋の上には5個の東屋がある。橋の東に「超然亭」、西に「海潮庵」、真ん中に「泗水亭」、両端に一つずつの亭がある。観光者の休憩のところになります。「泗水亭」は「中亭」ともいう。亭の手前の石柱に「世界有仏宗斯仏、天下無橋長比橋」という対聯がある。その前に石の将軍の彫刻がある。亭の傍にこの橋の修繕のことを記録するための石碑が14枚ある。西側の亭に清代の修繕のことを記録した碑がある。東側に五階六角形の白い塔が一つある。800年が経ち、今の橋はもう陸地上の橋となった。1980年から1985年に国家の経費で再度修理された。宋の元の姿に直った。

 http://www.lcqz.com/qz18j/05.htm
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