04.03.08  南靖土楼

 昨日、南靖土楼と[シ+章]州市へ行って来ました。初め南靖土楼へ行く予定は無かった。それが行かざるを得ないことに・・。ですから南靖土楼は付録です。委細はこれからご説明します。
懐遠楼
 懐遠楼。
四楼の黒い棚は看視兼攻撃哨。一楼外壁は石造り。

 厦門から海岸沿いに広東省の方へ向かいますと、すぐ[シ+章]州市区域に入ります。そして広東省へ入るまでの約3時間(高速道路・バスの場合)が、ずっと[シ+章]州市なんです。つまり広い。何かで「明代に[シ+章]州太守が・・」というのを読んだことがある。ということは、昔はここはこの辺りでは大きい城市だった。だとすると、ここには泉州市に匹敵するような歴史的な古鎮、古寺などがあるに違いない。そう睨んでいた。いつか一度行ってみたい。

 引っ越しも済んで、まだ寛帯が入らないけれど、取りあえずは落ち着いた。そこである生徒に案内を頼みました。この子はよく[シ+章]州のお菓子を持って来て呉れる。「[シ+章]州の親戚がたくさん呉れたので・・」と。だからこちらはテッキリこの子の実家は[シ+章]州なんだと思い込んでいた。ところが「私[シ+章]州知りません」という返事。親の代に厦門に出て来たらしい。 (注)[シ+章]州と書くのは面倒。以下「章州」とさせていただきます。

 じゃ仕方がない。そのうちまた章洲出身の生徒が現れるだろうと諦めた。そしたら次の週にその子が「クラスメートに章州の子がいますけれど、その子に案内頼みましょうか?」と言う。私の生徒は厦大の学生。クラスメートというのはそちらの方の。それは好都合。頼みましょう。「でもその子は日本語できません」。筆談で十分用は足りると思ったけれど、まぁ折角だから「じゃ君も行くか?」。費用は全部こちら持ちという条件で出掛けることになりました。相手は学生ですから。

 朝8時に梧村バス総站に集合。高速直行バスで章州市へ。約1時間です。章州に火車の便は無いのか? 有ることはあります。でもそれは盲腸線なんです。それも厦門から直接の線ではなくて、厦門から江西方面への線の途中の本当に名もない站から枝分かれしている。昨年私、国慶節休みを利用して景徳鎮へ行きました。そのとき乗った列車がこの名もない站に停車後、突然後ろ向きに走り出した。どういうわけか分からないまま人家も稀な畑の中を約1時間。着いたところがこの章洲。そこから先には確か線路は無い。私地図を見るのが好き。だからそれは先刻承知していた。果たせるかな、火車は今度もまた後ろ向きに走り出した。同じ線を戻るわけです。これじゃ章州まで火車を利用する人はいない。みんなバスに乗る。

 閑話休題。章州バス站には案内役のLチャンのご両親が待っていた。暫くするとチャーターした車(サンタナ)が現れた。これから南靖の土楼へ向かいますと言う。私、「ハァー?」。事前に「車チャーターしますがいいですか?」と聞かれ、確かに「OK」とは答えたよ。それは回る所がたくさんあるからという説明だったから。でもその際「南靖の土楼へ行きます」と言われたので、「そこは不要了」と言っておいた。私、永定の土楼に二回も行っている。その途中南靖を通る。土楼は路傍から何度も幾つも見ている。永定のも南靖のも土楼の内部はみな同じ。だから行く必要は無いわけ。

 ハッキリ言っておいたのにどういうわけ? またも現れました。中国の馬馬虎虎、曖昧模糊、差不多、他人の事情より自分の都合。私ウチの生徒Xチャンに「先生は土楼不要と言ったよね」と言いましたら、彼女「ええ。でも私達まだ行ったことない」と言う。ウーム。事ここに至ったらもう観念するしかない。ムダな抵抗は止めよう。武器を捨てて・・・、いえ、とてもではないが、この大陸の人達には太刀打ちできない。没弁法です。かくして私、Xチャン、Lチャン、Lチャンの父親の4人は南靖の土楼へ向けて出発。母親は定員超過だから居残り。もしXチャンがいなかったら母親も乗ったでしょうね。

 道々後ろの席は賑やか。Lチャンは一人っ子。父親は久しぶりに娘と話せて楽しいのでしょう。こちら何回も通っている道ですから、それに珍しいもの無い所ですから、景色眺めていても面白くも何ともありゃしない。一度だけ山稜が突凹としている山があったから運転手に「あの山何て名前?」と聞いたら、「名前なんか無い」という答え。「これから行く所にはもっと高い山があるよ」と言う。「ッテヤンデェー。山は高けりゃいいってもんじゃねぇーんだ。形だよ、形 !」。前を行くダンプが尻から砂を撒きながら走る。川砂をどこかへ運ぶのでしょう。それが荷台の隙間からこぼれる。これじゃ目的地に着くまでに半分は無くなるな。筵か何か敷けば済むことなのにそんな配慮も出来ないのか。こんな風じゃいつまで経っても近代国家になんかなれっこねぇよ。分かってンのか? エーッ?

各戸の台所
 南靖土楼は狭い峡谷ザッと40Kmくらいの間にポツンポツンと散在している。めぼしい土楼の所には道脇に「中国福建(ming南)・南靖土楼」と看板が立っている。看板を見る度に運転手が「寄るか」と聞く。今まで何回も通りすがりに見たものは見たくない。その度に「go!」と指示。一番のどん詰まり、その先の峠を越せば永定に入るという所に大きな環楼が三つ並んでいる所があった。あそこまで行きたい。なぜかと言うと、そこは道路が峠に向かって上っているから、環楼三つが完全に俯瞰できるんです。そこならいい写真が撮れそう。
居住区
峡谷は一本ではなく途中一、二本分岐しています。二本目の分岐の所に道標が立っていて、「右→梅村。直進→田螺土楼→永定」とある。ハハァ、行きたいあの土楼は田螺と言うのか。それはいいけれど、何とまだ田螺土楼まで14Kmと書いてある。既に章州を出て3時間。まだ小一時間はかかる。なんたって山の中ですから道は九十九折り。飛ばすことが出来ないんです。田螺まで行くと肝心の章州見物はおそらく端折らなくてはならなくなる。仕方なく田螺は断念。梅村に向かいます。
祖廟兼教室
 梅村は峡谷内といえど珍しくかなりの田畑が広がっている土地でした。村人が大勢外に出て向こうの山を見ている。山火事です。野焼きの火が飛んだのか。そんな中で懐遠楼という円楼を見て来ました。他にも和貴楼という方楼もありましたけれど、そちらはカット。丸か四角かの違いだけで、中は皆同じ。一階が食堂兼応接間。二階が食料庫。三階四階が居住区。階段は四箇所にある。一階中央に祖廟があり、昔はここで子供に勉強をさせたらしい。つまり教室。今は外へ出て行く人が多いらしく、空室が目立ちました。
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