04.05.19  隣人たち
四川大厦
私の宿四川大厦。
28階までありますが、忌み数字は抜いてありますから実質24階くらい。

本日は曇。暑くもなくさほど涼しくもない。ほどほどの気温です。今日は宿のマンションの隣人たちの話です。

 ここ二、三日毎晩隣室で麻雀をやっている。私ここへ入居して約3ヶ月ですが、これは今までに無かったこと。そう言えば三日ほど前の昼間、クーラーの据え付け工事をしていた。すると、新設クーラーお披露目麻雀大会かもしれない。

 これがうるさい。どうウルサイかと言いますと、ジャラジャラと牌をかき回す音もさることながら、二人ほどやたら声が大きいのがいる。言葉はまるで分からないんですけど、一ゲーム毎に互いに何か喚く。「なにー、ペンチャン?  オレ四万が三枚出てるから無いと睨んだんだけどなぁ! オレの手見てよ。三面待ちでテンパってたんだぜ。満貫なのにぃー。クーッ!」。片や「三面待ちが怖くて麻雀ができっか。男は度胸よ!」なんて言ってるのか。それにプラス、牌が卓を叩く音。「ズン」という感じで響く。窓は閉めてある。壁は煉瓦に漆喰塗り。床は鉄筋のスラブ。それでも(それだから?)結構響くものですね。そして赤ん坊が泣く。赤ん坊もきっと「うるさい」と感じているんでしょう。

 私もその昔のそのまた昔可成りやりましたから、牌の音くらいじゃ驚かない。けれどもその声の臆面のなさに驚く。まさに傍若無人。これが日本だと隣近所に多少は遠慮する。ところがここではそんな気配は微塵も無い。またその声たるや、何を食えばあんな大きな声が出るのか聞いてみたいくらい。おまけに一人の声は甲高い。おそらく顔を合わせたら「えっ!」と驚くほどの貧弱な男じゃないかと私、想像していますが。今夜もまたやるのかな?

 入居当時に遡ります。我が宿になった房のドアの脇に隣室(麻雀やる方の反対側)住人の靴棚が置いてあった。精々3足しか載らない小さなモノですが、こちらのドアの開閉にスレスレです。下手すれば引っ掛かる。こりゃ誰だって気になると思う。私もずっと気になっていましたが、あるときそこの主人とドアの前で顔を合わせた。で、即座に文句言いました。何と言ったか文句は忘れちゃいましたが、向こうはすぐ分かったらしく、即座に向こうのドアの先、つまりこちらのドアから遠い方へ移動させました。「これでいいだろ」。「オオ、好好」。

ドアの前
 これで一件落着。めでたいと思っていましたところ、翌日には靴棚こそ向こうにあるものの、中身の靴は元の場所に戻っている。向こうさんは元の場所に靴があると、自分ちのドアを開けて廊下を踏まずに靴を履ける。
(写真) 左の白い袋がぶら下がっている方が私の部屋です。隣がドアの開きを反対(電気自転車寄り)にすれば問題なかったのです。
 普通中国ではドアの内部、つまり室内で靴を脱いだり履いたりしますよね。そのお隣りさんの室内には、立派な木製の靴箱が入ってすぐの所に置いてある。だからその前で着脱すればいいのに、それをしないで他人の(私の)部屋のドアスレスレの所に脱ぎ捨てている。

 早く言えば、いえ遅く言っても、これは横着ということ。第一失礼じゃないか。しかし、この隣人にはそういう観念は無いらしい。これが日本だったら下手すると血の雨が降りかねないところですよね。
 
 エレベーターの話になります。エレベーターに人が乗り、今しも閉まりそう。こちらが急ぎ足で向かっても平気で「閉」のボタンを押す人が多い。反対の場合、つまり私が先に乗り込んだとき後から来る人が見えたら、私は「開」のボタンを押して待っています。でも、間に合って「謝謝」と言う人はまずいません。更に驚くのは、途中階で先に降りる知り合いと話が切れないため、開ボタン押したまま話し続ける人がいます。おばさんに多いですね。誰も文句言わない。私も言わない。郷に入らば郷に従え。

 以上の現象に共通して言えること。徹底的に自己中心ということですね。他の多くの事柄もそういう視点でみればよく理解できます。ですが私、これを批判しているわけではありません。長安小吉さんがいみじくも指摘されましたように、これがあるから気楽に暮らせる。私が同じように振る舞っても文句言われませんからね。

 私の留守宅。余所様にはお世辞で「いい所にお住まいで」と言われますが、ゴミの分別に掃除当番。その掃き方が雑だとか何とか、とかくウルサイ。お隣さんは拙宅の生け垣の落ち葉が自分ちの庭に落ちる。枝を切って欲しいと時々言って来る。ウチには決して言わないけれど、「境に生け垣なんて非常識」と余所様には言っているそう。でも自分ちの庭木は公道上や別の隣家の庭先にまで枝を伸ばし、盛んに葉っぱを落としています。

 私、帰国したらきっと息が詰まるだろうな。
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