07.08.02 何日君再来
周{王+旋}
1930〜40年代の上海の映画女優・歌手。金の声といわれ絶大な人気があった。
 07.07.19 ML−Chinatripへの投稿。

  NHK・BS/3の話です。歌曲「何日君再来」の特集。ファンキー末吉が起源由来を訪ねるストーリー。ファンキー末吉って私初めて見ました。ロッカーだそう。ロッカーが聞いてもこの曲はいいらしい。

 起源は劉雪庵という人が今クマールさんが居られる上海音楽学院を卒業する時、送別会用に作曲したタンゴ曲だった。歌詞はなかった。昭和13年というから1938年ですか。第二次上海事変の翌年ですから日本占領下ですね。

 この曲に中国の映画会社が目をつけ三星伴月という映画の挿入歌に使った。歌詞はシナリオ担当黄嘉謨。歌ったのが周{王旋}。爆発的に流行し、昭和14年松平晃という当時の流行歌手が上海で耳にし日本に持ち帰り歌おうとした。けれども「こりゃ男より女の歌だろう」ということで渡辺はま子が歌った。レコードは日本コロンビアです。「いつ君帰る」。日本でも大流行。そして旧満州で李香蘭が歌った。レコードはテイチク。

 この周{王旋}の名前と写真で想い出したのですが、この人蘇州近郊の水郷ルー直の出身じゃなかったか。ルー直って小さい所で有名じゃない。あまり見る所がないんですが、ここ出身だという女優の資料館があった。この人だったような気がします。

 劉雪庵さんは後に北京芸術師範学院の作曲の教授になったが反右派闘争で追放され、更に文革で迫害され失明した。国民党の為に作曲したと。李香蘭も上海で工部局に歌ってはならないと禁止される。日本でも軟弱だと発禁になる。ただ渡辺はま子は漢口から重慶に向けての対敵放送でこの歌を歌った。台湾に逃げ込んだ国民党も戦意を殺ぐ歌だと禁止するが、金門島から大陸に向けての対敵放送では盛んに流しているんですね。君を何日{軍}再来と掛けて。

 台湾でテレサテンがデビュー。この歌をレコードに入れた。しかし政府の干渉を受け、テレサは香港に移る。ここで自由に歌えるようになり世界に広まった。新中国でもファンが増えたが毒文化だと禁止される。時間が経ちテレサテンに大陸で歌わないかと誘いがかかるようになったとき天安門事件が起こる。テレサが弾圧に公然と抗議したため、遂に彼女の大陸公演は叶わなかった。

 と、まぁそんな話ですが、今の人はみんなテレサテンの歌だと思っている。しかし実は古い歌なんだと、長々と番組の粗筋をご紹介しました。私もこの歌は好きです。


 MLでいただいたレスポンスです。

 07.07.20
 日本の放送は見れないそんべん@酒仙橋です。 

 ファンキー末吉のお店が北京に何軒かあります。三里屯の「JAZZ-YA]、和食の「橋場」「丹周」。「橋場」は天津にも進出しています。

 07.07.20
 布袋@奈良です。

 > 彼はなんか中国語が出来るみたいでした。

 ファンキー末吉の奥さんは中国人です。また、だいぶ前のNHKテレビ中国語には生徒役で出ていました。彼はドラマーであり中国での演奏活動や中国人プレイヤーとのジャズセッションをしたりと中国人との交流も深く、中国語が出来るのも当然でしょう。


07.07.23
 ちんぶりかえる@静岡さんの掲示板への書き込みから。

>Chinatripメンバーの方のお話ではファンキー末吉の奥さんは中国人。

 1993年に彼は中国人女性と結婚しましたが、2001年に離婚しました。子供は彼が引き取ったようです。2005年に日本人女性と再婚しました。

>彼は北京と天津で日本料理店を経営しているのだそうです。

 実際に経営しているのは別の日本人男性ですが、もとはと言えばファンキー末吉がその日本人男性に「僕が中国で活動する足場を作れ」と300万円を渡して中国へ行かせたことが事の発端。その日本人男性はファンキー末吉の音楽面の足場だけでなく、ファンキー末吉が趣味でドラム演奏できるためのジャズバー兼日本料理店も作ってしまったそうです。
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